スタジオジブリの最新作「君たちはどう生きるか」は監督の宮﨑駿氏も“訳のわからなさ”を認めている映画だ。この作品の謎を、サブカル評論家として知られる朝日新聞の太田記者が解き明かす。「文藝春秋 電子版」より一部を無料公開します。(※本稿は映画『君たちはどう生きるか』の内容に触れています。未見の方にとってはネタバレになる情報を含んでいますのでご注意ください)
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ペダルを漕ぐ、ナイフで竹を削る、飯粒を嚙む
手書きのアニメーションとは、こんなにも自由で、豊かで、人の心を魅了できる表現なのか――。映画「君たちはどう生きるか」を観て、そんな驚きと興奮に囚われない人はまれだろう。人力車の重そうなペダルを漕ぐ、ナイフで竹を削る、飯粒を嚙むという日常的な動きから、全身を使って船の帆を操り風を捉えようとする機敏でダイナミックな動き、そして壁面に飾られていた鳥のレリーフが突然膨れあがり生命を得て飛翔するという幻想的な動きに至るまで、この映画に満ち満ちた「動き」は、実写映画ともCGとも異質な、そして圧倒的な生命力にあふれている。
その一方で、この映画は「謎」にも満ちている。従来の宮﨑駿の映画は、現実離れした世界や突拍子のない展開があっても、主人公らの心の動きは明確に描いていたため、主人公への感情移入を通じてスムーズに物語世界へと入っていくことができた。「千と千尋の神隠し」はその典型だろう。
しかし、宮﨑駿が「君たちはどう生きるか」で試みたことは、さらにその先にある。自らのうちから湧き出すイメージの奔流を極限まで映像化すると同時に、主人公らの内面の心の動きを繊細に表現することで、「誰の心の内にも潜む『悪意』にどう立ち向かうか」という根源的なテーマを描こうとしたのだ。その結果、観客は、奔放な異世界の描写に圧倒されつつも、登場人物たちの複雑な内面を推し量ることを求められる。宮﨑駿自身も認めるこの映画の「訳のわからなさ」の理由はここにある。
80歳を超えても映画の完成度よりも新たな挑戦を目指す宮﨑駿のエネルギーと気概は、宮﨑映画の中でも最高のみずみずしさをこの作品に与えている。ここでは映画の核心と直結している主人公・眞人が自らつけた額の傷、そして額の傷が象徴するとされる「悪意」を巡る謎を、これまでの宮﨑作品も参照しつつ解き明かしたい。これが理解できれば、「君たちはどう生きるか」という作品の印象は一変するはずだ。
「誰にやられたんだ」「転んだんだ」
日本の敗戦が迫りつつある夏、眞人は父親と共に母親の実家のある田舎の街へと移り住む。駅に降り立った眞人と父を迎えたのは、前年に空襲による火災で亡くなった母の妹で母そっくりの美しい女性、ナツコだった。ナツコは自分が眞人の新しい母親になることを告げると、いきなり眞人の手を握って自分のおなかに触らせる。ナツコはすでに妊娠していた。眞人は父親と共に、ナツコの実家である豪邸の離れに暮らすことになる。