エルメスの“バーキン”で知られるが…
初めてジェーンと会ったのは1985年。私は長年、アンリ・トロワイヤなどのフランス文学の翻訳者として活動していたが、マガジンハウスに頼まれて、この年、パリ支局の支局長として赴任したのだった。
その前年、ジェーンのためにエルメスが作ったバッグ“バーキン”が発売される。ファッションアイコンとして彼女の人気は日本でも凄まじくて、東京の本社から、「ジェーンに会えるなら取材してくれない?」と、何かにつけ頼まれたものだ。
当時の彼女は夫のセルジュの家を飛び出して、ジャックと暮らしていた。パリのトラッドな人たちが住む16区にある、路地裏の一軒家。
家の前で3、40分ぐらい待たされて、カメラマンと一緒にピアノの置いてあるサロンに通された。取材テーマはよりによって「結婚式」。ただ彼女は嫌な顔一つせず、自分の結婚式のものは無いけれど、と言って、ロンドンの親戚の結婚式の写真を見せてくれた。実業家たちが沢山写っており、良い家柄の家庭に育ってきたのだなという印象を受けた。実際、彼女は貴族の家系である。取材をしていたら、途中でジャックが帰ってきたのも覚えている。彼には正妻がおり、二重生活を送っていたが、それでも2人は幸せそうだった。何より、彼女は堂々としていた。不倫だからなんだ、これが私の選んだ男性なんだ、と言わんばかりに。
次も「あなたのキッチン」という、何で彼女にそれを聞くんだという取材だった。驚いたのがフォークやスプーンが、キッチンに散らばって置かれていたこと。ただ、単に出しっぱなしにしているわけではない。それぞれ真っ直ぐに並べられている。ペッパーやオイルなども同様で、これはある美意識のもと、整然と置かれているものなのだろうと、彼女の強い意志を感じさせた。
誠実な人だった。知り合ってしばらくしてからのこと。出張のため、朝早くに人通りもないサンジェルマン大通りを歩いていると、遠くに2人の人影があった。1人はホームレスの男性で、もう1人はジェーンだった。男性が苦しそうにしていたので、彼女は髪の毛が道に触れるぐらいに顔を覗き込んで、「どうしたの?」と心配していたようだった。
誰かに見られているわけでもなく、苦しそうにしている人がいたら、自然と手を差し伸べる。それを見て、彼女は偽りのない人だと思った。もともと彼女の父が人権問題に関心のある人で、ジェーンも子供の頃からデモにも参加していたという。彼女自身も学生時代に寄宿舎で虐められた経験も持つ。そこで培われた優しさが、彼女の中に息づいている。
エルメスの“バーキン”で知られるジェーンには、どうしても派手好きなイメージが付きまとう。数多の著名人と浮名を流し、「恋多き女性」としても知られる。もちろんスタイリッシュでチャーミングな女性ではあるのだけれど、それは彼女の表層に過ぎない。世代を超え、国境を越え、自由に生きて、皆に愛を与え続けた人だった。