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ユニフォームを来てプロ野球を応援する文化を作ったのは、ロッテ“伝説の球団職員”だった

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/09/03
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プロ野球のスタンドの風景を変えたFC入会者へのプレゼント

 そして93年、千葉移転の翌年横山さんは球団に転籍。幹部候補生の将来を巡っては「球団には今でなく幹部となってから行くべきだ」と本社の意見が二分しましたが、最後は横山さんの意思が尊重されました。

「球場にお客さんとして通っていて、納得いかないことがあってこのままじゃダメだと思い、『行かせてください!』って言いました。オリオンズという名前が無くなって少し冷静に見ることもできるようになっていたんです」

 93年3月、正式に千葉ロッテマリーンズの職員に。当然横山さんの最大の任務は球場を満員にすること。ただ、その頃まだ指定管理者にもなっていなかった球団にできることは限られていました。チケットの販売は球場の仕事で、そのシステムに手をつけることはできない。できることといえばファンクラブの人数を増やすことでしたが、当時千葉にはそもそもマリーンズファンは非常に少なかった。

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 さまざまな企業に足を運んでも「なんでロッテが来た? おまえらのせいでセ・リーグの試合が出来ねぇじゃねえか!」とけんもほろろに追い返されることは日常茶飯事。そんな状況ですから、年間シートなどチケットを売り歩いてもまるで反応が悪い。

「惨めな思いをしました。でもその会社の50人のうちたとえ1人でもファンになってくれれば……って必死でしたね」

 オフシーズンの休みには商店街や少年野球チームを回ったりもしました。やがてファンが少しずつ増えていく手ごたえが嬉しかったそうです。

(本人提供)

 そして「ファンクラブの組織をしっかりとしてファンを増やす」ことを目的に、横山さんは千葉に移転後も活動していた川崎応援青年団を、バレンタイン監督就任を機に変えることに着手。当時売れていたメガホンを使わない「声」を中心とした応援を共に作っていきます。

「とっつきにくく見える人たちですが、応援団の方々はみんな自分の後輩でしたから大切に思ってくれました」と。

 そして横山さんは、さらなる企画を進めます。ファンクラブ入会者にユニフォームをプレゼントすることにしたのです。信じられないと思いますが、当時はユニフォームを着て応援する習慣はプロ野球には定着していませんでした。

「ユニフォームを着て応援したらすごく気持ちが良かった」

 ここで高校生の頃の思い出が役に立ったのです。プロ野球のスタンドの風景を変えたのは、まさに横山さんでした。

 また、遠征の応援が楽しかった経験から、ユニフォームにビジター用を追加しファンクラブのビジター応援デーも先駆けて行ないました。当時の偉い人には「なんでよその球場にファンを連れて行くんだ」と言われたそうですが。

 バレンタイン監督の就任から始まった応援改革で、いつしかマリンスタジアムの外野席はユニフォーム姿一色で埋まるように。やがて「ロッテの応援は凄いね」と言われるようになり、1998年の18連敗での真摯な応援なども注目され、ついに2002年、「毎日スポーツ人賞・文化賞」がマリーンズ応援団に贈られることとなりました。が、横山さんのお願いで、受賞者は「ファンの皆さん」に代わりました。そしてその賞金100万円が、外野スタンドのシンボルともなったビッグフラッグの製作費用に充てられたのです。

(本人提供)

「あの頃は24時間365日働いていた気がします」

 04年、ダイエーで代表を務めた瀬戸山隆三さんがやって来て球団代表に就任すると球団改革にはさらに拍車がかかりました。しかし全てを変えるにはホークスに比べ圧倒的にマンパワーが不足していました。「あの頃は24時間365日働いていた気がします」と、横山さんは振り返ります。

 試合前、招待券を持った瀬戸山代表は「これを駅前で全部配ってこい」「まだ席が空いとるぞ」と容赦なかったと。横山さんの肩書きは事業部兼興行部兼チーム26スーパーバイザー。つまり全てやれということ。

「死ぬほど忙しかった。でもお客さんが増えていくのはやり甲斐がありましたね」

 そして日本一になった05年、リーグ優勝をした際に福岡ドームのレフト場外でファンの皆さんに胴上げされたのは横山さんにとって忘れられない思い出です。

 やがてマリーンズはスタジアムの指定管理者になり、横山さんは球場責任者になりました。

「05年以前からのファンはたぶんお互い全員顔がわかる。マリンではいつもファンクラブブースにいたしビジターゲームは応援に行ってたし」

 そう豪語できるのは、ロッテ一筋で人生の大半を過ごしてきた横山さんならではでしょう。

「昔はロッテ戦が満員になるとニュースになっていましたが、今はいつもたくさん入っている。それも招待券じゃない。ありがたいことです。今の球団スタッフは僕らの作ったことを基本にモデルアップしてくれている。僕らのやっていたことは正しかったんだって思うと嬉しい。今はパソコン、スマホや各種データがあってすごく便利な時代ですが、僕らの時代は経験だけを頼りにいろいろやってきた。小さいころから野球場のスタンドばかり見て、野球場で育ったようなものですから、ひとつひとつのことが決して間違っていなかったんですよ」

 15年で球団を辞めた横山さんは後に日本プロ野球OBクラブに転職、事業部長としてしばらく働いていました。でも何かが違う……。

「ボクはやっぱりパ・リーグが、ロッテが好きなんです。最近の球場はどこも楽しくお客様がたくさんでマナーが良くなりましたね。でも、ふとあのころの空席ばかりのスタンドの球場のオリオンズの試合を懐かしく思い出すこともあります」

 この人も、どこまでも昭和の人だな……。最後までお話を伺っていたら少し目頭が熱くなりました。

 横山さんも「マリンスタジアムの盛況を見るといつも涙が出そうになります」と言います。

 沢山のファンの応援に支えられてプレーする喜びを胸に、頑張れ! マリーンズ!!

(本人提供)

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