マスク生活2度目の春を過ごす、32歳・漫画家のナツコ。母親は5年前に他界し、父親と関西の実家で2人暮らし。ドーナツ店でアルバイトをしながら、「ツユクサナツコ」名義でネット上に漫画を掲載して日々を過ごしている。

 ナツコが漫画で描くのは、「いま」だ。例えば、アルバイト先に来た優しいおじいさんのこと、コロナで大学生活がままならないバイト仲間のこと、繋がらないワクチンの予約電話のこと、戦争のこと……。社会の不平等にモヤモヤし、誰かの何気ない一言に考えをめぐらせながら漫画を描くことで、世界と、誰かと、自分と向き合い、“わかり合える”ことの喜びを噛みしめる。

 イラストレーター・益田ミリさんが今年6月に上梓した漫画『ツユクサナツコの一生』(新潮社)は、淡々と日々を過ごす主人公のナツコと、彼女が描いた漫画を通して、日常の中にある「大切なもの」に気づかされる作品になっている。

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コロナ禍をリアルタイムで描いていく物語

 物語の始まりは2021年春。コロナ禍の真っ只中。ナツコをはじめ、登場人物は皆、マスクを付けながら生活している。第1話の「ガムマシーン」に出てくる「昨日辞めたバイトの子、結局マスクの顔しか知らんままやったな」というナツコのひとりごとは、多くの読者が共感を抱くコロナ禍の“あるある”だろう。 

©益田ミリ/新潮社

「本作はもともと、文芸誌『小説新潮』で連載していて、2021年4月から22年12月までの約2年間で、コロナ禍をリアルタイムで描いていきました。物語の設定や構成、ストーリーはすべて益田さんがお考えになったのですが、例えばワクチンの予約のための電話がつながらなかったこと、少し落ち着いてきたかと思ったらオミクロン株が流行り出したことなど、益田さんは毎月1話、『世の中で起きていることを淡々と描こう』とされたそうです。なので、振り返ってまとめて描くのでは出せなかったリアリティがより強く感じられる作品になっていると思います」(担当編集者の武政桃永さん、以下同) 

©益田ミリ/新潮社

「期待もせんと、絶望もせんと、それでも人は生きていける」

 2020年、突如として世界を襲った新型コロナウイルス感染症によって、それまで当たり前にあった日常が奪われ、生活は一変した。行動が制限され、人や社会とのつながりが希薄になったことに、誰もが戸惑った。作中のナツコも同様だ。しかし彼女は、ただ戸惑うだけではない。漫画を描きながら、コロナ禍の日常と真摯に向き合い、自分の気持ちを昇華させる。読者は彼女の行動を追体験しながら、悩みやモヤモヤを一緒に昇華できるのだ。

「帯にも入れたのですが、作中である人物が言う『期待もせんと、絶望もせんと、それでも人は生きていける』という言葉が、今も深く心に残っています。この3年間、人間の弱さや社会の脆弱さに打ちのめされるような気持ちになる機会が劇的に増えたなかで、この作品には、そんな折れそうな心をそっと支えてくれる静かな強さがあると感じています」 

©益田ミリ/新潮社

終盤には衝撃の展開が…

『ツユクサナツコの一生』は、益田さんにとって最長編の漫画作品となっている。ナツコの日常を中心に淡々と物語が進んでいくが、終盤には予期せぬ展開が待ち受けている。

「後半のある展開に、多くの人が衝撃を受けていらっしゃいます。私もみなさんと同じで、連載時に原稿を拝見したとき、とても驚きました。そしてそこから、読者の方々がそれぞれ、様々な思いを、考えを巡らせて下さっているのをSNSなどで拝見すると、ナツコの物語が読者の心の奥深くまで届いているように感じ、とても嬉しく思っています」

 ネタバレになるため、どのような展開になるのかは言及できないが、読後に深い感動を覚えることは間違いない。そして、この3年間で何があったのか、これから先、何を大切に生きていくべきなのかを考える“きっかけ”にもなるだろう。

ツユクサナツコの一生』(新潮社)

「ナツコは作中、毎日漫画を描いています。そんなナツコが、自分の漫画の登場人物・春子に言わせるセリフの1つがこちらです。『自分が好きや思うことは、一生、死ぬまで、自分だけのもんや』。益田さんがナツコに、ナツコが春子に託したこの言葉の真意を、ぜひ作品で探って頂きたいです」