「原子力 明るい未来の エネルギー」

 東京電力・福島第一原発の5、6号機が立地する福島県双葉町。JR常磐線双葉駅(原発から4.2キロ)近くの町の体育館のそばに、この標語が書かれた看板があった。老朽化のために町は2015年12月、看板を撤去し、移設した。東京と仙台を結ぶ国道6号線からも見ることができた。

現在はすでに取り外されている双葉町の看板(大沼さん提供)

標語を考えた当時は小学6年生だった

 標語を考えたのは大沼勇治さん(42)。双葉町が1988年3月、子どもたちを含む町民から集めた標語の一つを看板にしたのだ。当時は小学6年生だった。

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 震災前にSNSの先駆けだったミクシィを通じて、現在の妻(42)と知り合い、2010年3月に結婚した。結婚後1年で原発事故が起きた。妊娠7ヶ月で、長男(6)がお腹にいた。そのこともあり、2日後には、妻の実家のある会津地方に避難した。現在、茨城県古河市に住んでいる。

妻と話をする大沼勇治さん(筆者撮影)

 夫婦はさらに親類をたよって愛知県に避難した。原発事故から3年後の2014年5月、古河市に居を構えた。震災前は不動産業だったが、震災後は太陽光発電の会社を作り、生計を立てている。茨城県の石岡市、常陸太田市、栃木県のさくら市と那須烏山市でソーラーパネルを設置している。

「なぜ古河市だったのか? 近くの埼玉県加須市に避難した双葉町の役場があった。そのため、周囲を散策していて見つけたんです。しかも、ここならいつでも双葉町に行くことができる。ただ、ここにずっと住もうと思って家を建てたわけじゃない。だから、狭いんです。1階はバス、トイレ、キッチンしかない。避難先の愛知県では借り上げで、マンションだったんですが、そのときの感覚で家を建てました」(大沼さん)

町役場半分が隠れる程積まれたフレコンバック(大沼さん提供)

 一時帰宅は何度もしている。月に1回は行くようにしているため、80回を超えている。いつの頃からか、原子力の標語について反省をするため、“書き換え”を行なうようになった。一部を、別の言葉を記した紙を持って“書き換え”ながら、写真を撮影する。

「原子力 制御できない エネルギー」
「脱原発 明るい未来の エネルギー」
「核廃絶 明るい未来の エネルギー」

「原子力 破滅未来の エネルギー」(大沼さん提供)
「原子力 明るい未来…じゃなかった」(大沼さん提供)

 また、標語のあった看板近くには、心境を描いた詩が書かれたパネルを設置している。

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 新たな未来へ
 双葉の悲しい青空よ
 かつて町は原発と共に「明るい」未来を信じた
 少年の頃の僕へ その未来は「明るい」を「破滅」に
 ああ、原発事故さえ無ければ
 時と共に朽ちて行くこの町 時代に捨てられていくようだ
 震災前の記憶 双葉に来ると蘇る 懐かしい
 いつか子供と見上げる双葉の青空よ
 その空は明るい青空に

 震災3年 大沼勇治

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 古河市に住んでから、次男(4)も生まれた。2人の子どもにとってみればこの地がふるさとだ。双葉町のことは写真やビデオでしか知らない。子ども2人には双葉町は無縁の地だ。

「原発反対集会に連れて行くことはしています。そこで『原発反対!』と叫んだりしているんですが、幼稚園の入園のとき、次男がそう叫んだときは驚きましたね」(同)