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 4月からは長男が小学校に入学する。そんななかで、妻は、長男がいじめられることを心配している。これまではメディアに出ていたときもあるが、最近では控えている。そのため、今回は家族は匿名で写真もなし。妻は言う。

「ママ友との付き合いはありましたが、震災の話は出ませんし、触れないようにしています。というのも、原発避難者の子どもへのいじめがありましたね。恐れていることが起きてしまいましたので、ドキドキしています。心ない人がいるかもしれませんし。どこから引っ越してきたのかと聞かれたら、愛知県と答えるようにしています。ただ、今は、『市内のどこ?』としか聞かれません。自分の出身地が堂々と言えないのは寂しい」

福島第一原発3号機の建屋(大沼さん提供)

 食生活での、福島産の農産物、畜産物を買うかどうかも悩みは多い。

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「福島産の野菜が売れ残っていたりするんです。産地名が目立たないところに書いてあったりします。いまは福島産の野菜などは目にしても意図的に買わないようにしています。避難するときに、嘘の情報が多く、本当のことを教えてくれないことが多かった。安全だという情報が信じられないのです」(妻)

 原発事故の影響も心配する。妻は発災時、相馬市で仕事をしており、翌12日には双葉町にいた。その後、南相馬市(第一原発から24.2キロ)や相馬市の道の駅(同38.5キロ)に避難していたということもある。

「震災当初は『大丈夫』と答えていました。でも、『本当は大丈夫じゃないんじゃないか?』とも思っていたんです。ただ、『大丈夫』と思わないと、この子を守れないと思っていたんです。発達にどんな影響があるのか。今のところ、大丈夫です。でも、本当は悩んでいたんです」(同前)

倒壊しそうな店(大沼さん提供)

 大沼さんはその妻の話を聞いて、「知らなかった」とつぶやいた。

 夫婦ともに出身地を隠すのは本意ではない。その上、双葉町に一時帰宅する前に、福島県内に前泊するときも、さらに気をつかう。

「一時帰宅するときは、いわき市に前泊します。食事をしているときに東電の悪口は言えない雰囲気です。なぜなら、横に東電関係者や原発作業員が多いんです。『大きな声を出さないで』と言われたこともあります」(大沼さん)

 ただ、毎回のように一時帰宅するのは理由がある。それは生まれ育った町の記録を撮り続けることだ。

「一時帰宅は最初はこれで最後と思っていた。爆発したらもう帰れない。ここで生きていたし、故郷として接していきたいし、町の姿を直視したい。今の双葉町は、ダムの下に沈む町のような感じ。震災前は考えていなかった。いつでも帰れると思ったから、出て行った。でも、震災で故郷はおかあさんみたいなものと実感した。住んでいたときは町の写真は撮っていなかったけど、大事な場所と気がついた」

帰還困難区域で立ち入り禁止。看板は撤去された(筆者撮影)

 福島第一原発から20キロ圏内は警戒区域となり、一時は立ち入り禁止となったが、多くの地域では避難指示が解除されている。一方、東京に電気を送り続け、日本経済の発展を支えて来た福島県双葉町は、現在もほぼ全域が、帰還困難区域で避難指示が出ている。大沼さんはまだ帰れない。

「東京の人は、『もう原発事故の話はいいよ』という感じかもしれない。しかし、僕たちが住んでいた双葉町、信じていた原発のことは伝えていきたい」

「原子力 正しい理解で 豊かなくらし」(筆者撮影)