岩手県釜石市。中心市街地には震災後にショッピングセンター「イオンタウン」ができ、市民ホールTETTOもオープンした。その近くに、片桐浩一さん(48)が経営する美容室がある。毎週月曜日のほか、従業員とお客さんに家族と過ごす時間を作って欲しいと第1、第3日曜日も店は休みだ。また、毎年、震災の日である「3月11日」もお店は閉じる。
「せめて自分だけは忘れないように……」
片桐さんはあの日、妻の理香子さん(当時31)と、4月に出産予定だった陽彩芽(ひいめ)ちゃんを津波で失った。亡くなった場所は、鵜住居(うのすまい)地区の防災センターだ。3月11日午後2時46分に発生した地震の直後、地域住民を中心に200人以上が集まっていたとも言われている。津波災害の避難場所と勘違いした、とされている。隣接する市立鵜住居幼稚園でも、園長と教諭ら4人がセンターに避難した。教諭1人だけ助かったが、亡くなった教諭の中に理香子さんがいた。
片桐さんは今でも月命日(毎月11日)には、亡くなった鵜住居地区に行っている。震災前、家庭訪問のために予定されるコースを理香子さんと下見をしたこともあった場所だ。ただ、2014年2月には防災センターは解体された。そのため、現場は工事中で目まぐるしく変化している。防災センターがどこにあったのか、正確には思い出せない。近くに行けないことも多い。
「家が建つなど、いろんなものが変わってきている。震災前の風景はそこにはない。だから、震災前や震災時の映像を見ている。遺族は過去の街を見て、必死に忘れないように、しがみついているのかもしれない。周りが忘れていくので、せめて自分だけは忘れないように……」
「忘れる」と口にしたが、片桐さんにとっては具体的に何を忘れてしまっているのか。
「(理香子さんの)料理の味だね。震災後は自分で作るようになったので、当時の道具を使って再現するけど、味がわからないんです。食器が割れたりすると買い足しているから、震災前とは違っている。思い出せないことが出てきている。朝起きたときに言われていた言葉が出てこないんだよね。しぐさも思い出せなくなってきている」
2日前の津波警報のときも避難所に
理香子さんの死をめぐっては、釜石市を相手に損害賠償請求訴訟の真っ最中だ。
鵜住居地区防災センターでは多くの人が亡くなった。要因としては、津波災害の避難所ではないにもかかわらず、津波災害を想定した避難訓練で、何度も仮の避難所として利用されていた点だ。2日前の3月9日の津波警報のときも避難してきた人がいた。しかし、行政は警告していない。こうした積み重ねによって、「防災センターは津波災害からの避難所」というイメージが定着していく。隣接する鵜住居幼稚園でも防災マニュアルはあったが、避難場所の記述がなかった。そのため、多くの地域住民が逃げた防災センターに避難してしまい、津波に飲み込まれた。
一審では片桐さんも義理の両親とともに原告となったが、敗訴した。現在は、仙台高裁での控訴審になっている。仙台高裁(小林久起裁判長)は双方に和解を勧告した。それぞれが和解案を提示したが、合意には至っていない。次回の和解協議は4月20日。ただ、片桐さんは控訴審からは原告から抜けているが、防災への思いは強く持っている。
「マニュアルの中に避難場所が書かれていない。記載されていれば済んだ話ではなかったのか。なぜ、それで(敗訴となるなど)法的に通らないのか。『避難場所を指定しなくていいんだ!』となってしまわないか。納得できないんだよね。もし記載があれば、経路とか距離とか確認できるじゃないですか。じゃあ、他の災害でも、園とか学校で避難場所を記載しなくてもいい、となってしまうのではないか」