この時期、知らない電話番号からの着信があると「ドキッ」とします。それは喜びに繋がる心臓の高鳴りではなく、不安を伴う心臓がキュッと縮まる方のドキッです。

「マネージャーから連絡先を聞いて電話させてもらいました」なんて切り出しで電話口からどこか聞き覚えのある声がするのです。そこまでして電話を掛けてきてくれる理由とは、今年いっぱいでユニフォームを脱ぐという報告のためです。とてもシビアな辛い報告です。

 それに対して返す言葉に正直困ります。言葉に詰まると沈黙になってしまいます。

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 その沈黙が怖くて、すぐさま「長い間お疲れ様だったね。わざわざ報告ありがとうね。ひとまず休んで……」と、とってつけたような言葉で空白になる時間を埋めます。言いたいことは山ほどあるけれど、それよりもこれから向かう次のステージでの活躍を祈る気持ちを大切にして、その気持ちだけに集中して対応します。

福田永将選手、堂上直倫選手との特別な思い出

 今年、こうして報告の電話をかけてきてくれたのは福田永将選手でした。彼とはちょうどひとまわり歳が離れています。一緒にユニフォームを着て戦った数少ない選手の1人です。

 外野も挑戦した努力の人です。限界を超えるまで数多くノックを打たせてもらいました。内野も守らないといけないし、彼にはちょっと無理させてしまったかな、体への負担が多過ぎたかな、と今でも私は自問自答をしてしまいます。その答えはハッキリとは出ませんが、彼の努力によって試合を任せられる外野手にもなれました。

 今年の7月9日の広島戦、バンテリンドームで放ったライトスタンドへ飛び込む彼らしいホームランは忘れられない思い出です。胸が熱くなり、目頭が熱くなる。彼の打ったホームランで胸がザワザワ、とても感動しました。「福田選手、ありがとう」と言いたくなるホームランでした。

 そして同じくユニフォームを脱ぐことになったのが、彼と同級生の堂上直倫選手です。直倫選手との思い出も私にとっては特別なものでした。

堂上直倫 ©時事通信社

 彼との初めての出会いは、私がプロ入りして間もない頃です。休みの日に練習をしようとナゴヤ球場に訪れた際、堂上照さん(堂上兄弟のお父さん)が幼い男の子とキャッチボールをしていました。私が「えっ! ひょっとしてこの子は?」と堂上さんに尋ねると「息子だよ! 次男! 野球上手なんだよ!」と直倫君のことを紹介してくれました。

 私は思わずその可愛らしさから頬が緩み、「頑張ってね!」と声をかけると、当時の直倫君はまだ4年生ながら大きな声で「こんちぃわぁ~すぅ!」と挨拶してくれました。その小学生だった直倫君の印象が今でも忘れられません。

 それから年月が経ち、2003年のファン感謝デーで再び彼を目撃することになります。催しの一つとして、ドラゴンズ選手と東海地区選抜の中学生チームが対戦する試合がありました。その時に投手を務めていたのは、普段マウンドに上がることのない福留孝介さんです。その福留さんが力を込めた投球を、完璧な当たりで広いナゴヤドームのレフトスタンドへ軽々とホームランを放つ中学生がいました。

 まさかホームランを打つ選手がいるとはビックリです。唖然として空いた口が塞がりません。マウンドに立っていた福留さんも驚いた表情でベースを一周するその選手を見つめていました。そうです、その選手こそ直倫選手でした。「えぇ~っ‼」まさかあの直倫君⁉ 

 こんなに大きくなって、こんなに野球が上手になってるとは! とさらに驚きました。あの可愛かった直倫君が、この凄まじい打球を放つ直倫選手にフルモデルチェンジしていたのです。このときの衝撃は忘れられません。そんな直倫選手とも一緒にプレーできた経験は、私の特別な宝物です。