試合前にミラールームで素振りをしていた荻野貴司外野手が、ふと尋ねてきた。「今、何時ですか? まだプレーボールまで時間ありますよね」。試合開始時間は18時。この時は17時5分だった。まだまだ時間はある。時計を確認するとプロ14年目、37歳の大ベテランはホッとした表情をみせた。そして「よく夢を見るんです。打席に入るのが遅れる夢を」と頭をかきながら、笑った。
そういえば、あの人も同じような事を言っていた。ふと思い出したのはZOZOマリンスタジアムの場内アナウンス担当33年目を迎え、今季限りでの引退を表明したレジェンド、谷保恵美さんだ。
「試合に間に合わない夢は今でも頻繁に見るわ」
谷保さんは90年に入社し、91年から場内アナウンスを担当。93年までは場内アナウンス担当は2人いたが、それ以降は1人で担うようになった。スタンドから試合を見守るファンのために絶対、自分が放送室からマイクの前で声を出し、アナウンスをしないといけない。使命とプライドを胸に職務を続けてきた。その重圧は本人しかわからない。ただ、よく夢を見ると教えてくれた。
「試合に間に合わない夢は今でも頻繁に見るわ。変な夢ばかり。家でくつろぎながらテレビを見ていたら、ヤバい! 今日は試合だったと慌てる夢とか。本当に色々と」と話す。遅刻する夢の他にもう一つよく見るのは声が出なかったり、読み方が分からなかったりする夢らしい。
「スタメンを読もうとしたら、すごい難しい漢字が書かれていて慌てる夢とか外国語で書かれていて、なんて読むのか分からない夢。もちろん、声が出なくてどうしようという夢もよく見たわ」と振り返る。
今季最終戦となる10月7日のバファローズ戦まで場内アナウンスを担当すると通算2100試合担当、1894試合連続担当となる。実際に遅刻しそうになるような大ピンチはなかったのだろうか?
「あった! あった!」と谷保さん。それは武蔵浦和に住んでいた95年4月23日のこと(ちなみに川崎球場時代は新宿に球団事務所があったこともあり国分寺に住んでいた)。28歳の時の出来事だ。
「すいませんが、お電話を貸してください!」
千葉ではオリックス・ブルーウェーブ(当時)との13時試合開始のデーゲームが予定されていた。この日、千葉の湾岸では朝から強風が吹き荒れていた。武蔵野線にいつも通りの時間に乗り込み、電車に揺られていると突如、電車が止まった。車内で「強風のため、運転を見合わせています」とのアナウンスが流れた。95年当時、携帯電話は一般にはまだまだ普及をしていない。当然、SNSもないのでメールやLINEなどで会社に連絡をすることもできない。インターネットもないので情報収集して状況を把握することもできない。慌てていると電車は少しだけ動き、一番近いJR市川塩浜駅のホームに滑り込んだ。
とりあえず、降りようと決意し、まずは公衆電話を探したが、やはりみんな考えていることは同じ。公衆電話の前は長蛇の列が出来ていた。時間は刻一刻と開場の11時30分に迫っていた。目の前に見えたのは車ディーラーのお店。意を決して、お店に駆け込むと「会社に電話したいのですいませんが、お電話を貸してください!」と頼み込んだ。28歳女性が見せるあまりの形相にただごとではないと察した店員は「ど、どうぞ」と快諾。店舗の事務所から球場に電話をして、「開場時間に間に合わないが、現在、市川塩浜にいるのでタクシーに乗れればスタメン発表までには間に合うと思う」と伝えた。
そして今度はタクシー会社に電話をしてタクシーを呼んだ。少しばかり到着まで時間がかかったが、ほどなくタクシーが現れると、素早く乗り込み30分ほどで球場関係者駐車場入り。そこから猛ダッシュで警備員がチェックできないほどの勢いで関係者入り口を通り、放送室に向かった。マイクの前に座ったのは試合開始約1時間前だった。間に合ったという充実感が身体を包み込んだ。「私、なかなかやるじゃない。フフフ」と思わず笑みがこぼれた。