「先発投手として生きてきたので、いろいろと考えることはありました」
「僕らは、“投げろ”と言われた場面で、常に“わかりました”と言って全力を尽くすのが仕事です。だから、先発であろうと、リリーフであろうと、どんな場面でもマウンドに上がるのは当然のことです。でも、これまでずっと先発マウンドにこだわってきたし、先発投手として生きてきたので、いろいろと考えることはありました」
それから数日後、石川にこの日の心境を尋ねたときの第一声だ。彼は、セ・リーグ記録となる連続先発記録(306試合)を誇っている。だからこそ、「中継ぎ陣の大変さが理解できた」と語り、同時に「僕はやっぱり先発にこだわりを持っていたんだなぁと改めて強く感じました」とも口にしている。チームが勝利することはできなかったが、伊藤コーチの言う「違う刺激を与える」という意図は十分に成功したのである。
どうして、この試合に違和感を覚えているのか?
さて、先にも述べたように、僕はこの日の試合を見て、「不思議な感情」を抱き、それはいまだに晴れていない。時間が経過した上で、自問自答してみる。自分はどうして、この試合に違和感を覚えているのか? そのヒントとなるのは、石川が目標に掲げている「通算200勝」という大記録だ。昨シーズン終了時点で、石川は183勝180敗を記録していた。
今季の開幕時点では「残り17勝」と迫っていたものの、過去3年では12勝止まり。もちろん射程圏内ではあるものの、簡単に達成できる数字でもない。若返りを図るチームにあって、ベテランである石川の存在感は貴重だ。しかし、ここ数年の投げ抹消のように、若い頃のように潤沢にチャンスが与えられているわけでもない。
数少ないチャンスを確実にモノにしていくことが、これからの石川には求められているのだ。石川には何としてでも200勝を達成してもらいたい。しかし、先発登板に対して並々ならぬこだわりを持つ彼にとって、この日のような登板による勝利は決して本意ではないのではないか?
先発投手として生きてきた男には、本人にしかわからない矜持がある
先発での勝利も中継ぎでの勝利も同じ1勝だ。でも、先発投手として生きてきた男には、本人にしかわからない矜持がある。自身の美学を貫いて結果を出す。それが、プロ選手としての幸せな結末だ。しかし、ときにはその美学を崩してまでも、夢の実現、目標達成にこだわることも、それも一つの哲学ではないのか? そんな思いが頭の中でグルグルと渦巻くことで、僕は一種の自家中毒を起こしたのではないだろうか? そんな思いを石川にぶつけてみる。その口調が強くなった。
「僕だっていろいろ考えることはありましたよ、先発マウンドが好きだから。……でも、いくら自分が“先発で投げたい”と思っていても、その力がなければ、それを任されることもありません。実際に、今の僕が置かれているのはそういう立場なのかもしれません。でも、まだまだ先発にこだわりたいし、そのための準備も続けています」
石川雅規にとって23年目の、24年シーズンはすでに始まっている
この試合の後、石川はさらに5試合に登板する。いずれも先発起用だった。冒頭で述べたように、今季の彼は2勝5敗という不本意な成績に終わっている。球界最年長選手の挑戦は、来シーズンも続くことになった。こうして、プロ23年目を迎える。今季の悔しさを晴らすには結果を出すしかない。その舞台がどんなものになるのか? 首脳陣がどんな決断を下すのかはわからないけれど、僕はあくまでも、先発にこだわる石川が見たい。先発勝利で200勝する石川の雄姿が見たい。
しかし、その結果、もしも大目標が実現しなかったとしたら、はたして僕は、もちろん本人はそれでも納得できるのだろうか? しばらくの間、この「不思議な感情」は続く。
僕の中では、石川に対する思いは年々強くなっている。彼がマウンドに立つ姿を見るのが好きだ。来季も、その姿が見られることが嬉しい。同時に、「来季こそは」という思いもある。23年はすでに終わった。そして、24年シーズンはすでに始まっている――。
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