「寂しい秋」となったスワローズ

 いつものマクラで恐縮ですが、ライオンズ・ホークス・タイガースで活躍された選手の佐々木誠さんを期待して来られた方すみません。元スワローズ私設応援団員の方の佐々木誠です。

 みなさまがこの文章を読まれるのは、神宮球場での最終戦が近くなっている頃だと思いますが、今年は残念ながらAクラスの可能性もなくなり、日本シリーズはもちろん、CSもなく、寂しい秋となってしまいました。

 以前は最終戦と言えばビジターチームの皆さまが陣取るレフトスタンドとの「エール交換」があり、ファン同士の気質が合うせいか、最終戦ならベイスターズ戦かカープ戦が良いなぁ……などと思っていました(純粋なエールの交換から相手チームの応援歌合戦に目的が違ってきてしまい、いつのまにかなくなりましたね……)。

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31年間の応援人生のなかで忘れられぬ引退試合

 さて、この季節、最終戦で避けて通れないことといえば、ファイターズで、元スワローズの谷内亮太選手も先日発表されていましたが「引退試合」ですね。

 31年間の応援人生の中で、「忘れられない引退試合は?」と尋ねられれば、ネクストバッターだったのにその前のバッターが凡退で打席が回らず「打ちたかった……」の言葉を残した角富士夫選手。

 先代の岡田正泰団長のことをお話しいただいた池山隆寛選手、延長戦に入った最終打席で雨の中放った打球の行方にスタンドが涙した宮本慎也選手(応援指揮中だったのに「入れ! 入れっ!」って叫んだ思い出が……)。

 プロ初打席と最終打席をホームランで飾った小野公誠捕手(あのホームランの時の実況と若松さんの「あ」という声にならない声はもっと有名になってもいいと思う)。熱の入ったスピーチだった五十嵐亮太投手、館山昌平投手、嶋基宏選手、内川聖一選手、坂口智隆選手……もう、全員と答えるでしょうね。

引退試合、ひとりを挙げるとするなら

 その中でも、「ひとり」と問われれば、間違いなく古田敦也選手の引退試合を挙げると思います。

 いや、正確には引退試合後から「20分間の出来事」ということになります。

 2007年9月19日。古田選手兼監督が引退会見。

 そこから私たち応援団としては横断幕を作ったり、応援をどうするかとか、セレモニーのスケジュールにどう合わせる等々、諸々準備が始まります。古田選手の希望で緑のボードで球場を埋めるということだったので、紙テープも緑色。その時は山手線の沿線と内側にあるあらゆるお店から緑の紙テープがすべて消えたとか。

 そして、色々諸々、本当に色々諸々あって、古田選手にライトスタンド前のグラウンドで花束を渡す役を私と現在の団長とで仰せつかりました。

 決まってから1週間くらいあったように思いますが、もう緊張しまくりで「何言おうか、何を伝えればいいのか」と考え続け、まとまらないまま迎えた10月7日の引退試合当日(その頃はまだ神宮球場は外野自由席だったので、お昼過ぎには銀杏並木を折り返すくらいの長蛇の列だったように思います)。

古田敦也引退試合 ©文藝春秋

 試合前に各イニング間の動画のタイミングやセレモニーまでの打合せを済ませたところで、係の方に「じゃあ、7回頃になったら待機場所までお連れしますので」と伝えられました。

(そうか、試合終了をスタンドで見られないのか……)と少し寂しかった記憶があります。