荒れ狂う新宿でも「普通に営業」
60年代・70年代の新宿は、新宿騒乱事件を筆頭に政治の街としての顔も色濃かった。そのことを質すと、「目の前の通りで学生と機動隊の衝突もあったそうです。敷石が敷き詰められていて、学生たちはそれをはがして、中の石を砕いて機動隊に投げていた。ですが、そのときも普通に営業していたといいます。私も信じられません」。そう青木さんは笑って答える。
この一帯から大箱の喫茶店が姿を消し始めるのは、バブルで盛り上がる80年代からだそうだ。地価や家賃が高騰し、売却、あるいは撤退。街から表情が失われていった。
「我々は自社ビルだったため撤退という判断には至りませんでした。また、『待ち合わせの場所がどんどんなくなっていくため、ここ(珈琲西武)は残してほしい』という声が当時からあったようです」
カレー、ナポリタン、パフェ…メニューに変遷あり
『珈琲西武 本店』の魅力は内観もさることながら、フードメニューの豊富さ(とその価格帯)も特筆すべきポイントだろう。西武カレー、オムライス、ナポリタン、パフェ……皆それぞれに思い入れがあると思うが、私がいつも好んで食べていたのがホットサンドだった。軽食であるはずなのに鈍器かと見まがうほどのサイズ感。この背徳感のあるホットサンドをむしゃむしゃと食べながらコーヒーを飲むと、「ふぅ。このあと原稿を書かないといけないけど、まぁ……書かなくてもいいかな」と自分を許すことができたのだ。
「実は一時期、軽食のみを提供する時代がありました。ファミリーレストランが台頭したことで、純喫茶で多種多様なフードを提供する必要はないのではないかと。しかし、先述したようにこの周辺から喫茶店が急減してしまった。食べられる場所が少なくなっていたので、お客さまのニーズに応えようと2000年頃にフードを復活しました。そのときにメニューも再考し、パフェも現在のスタイルに変わったんですね」
サンデーから絢爛豪華なパフェに――。この判断が、結果的に現在の昭和レトロブームと合致し、『珈琲西武 本店』にはたくさんの若者が来店するようになる。
取材当日も階下まで行列ができるほどで、「3階に空席がありますと案内しても、『2階で食べたいので待ちます』というお客さまがたくさんいらっしゃる」と、青木さんは顔をほころばせながら説明する。ステンドグラスと赤いソファー。“ザ・純喫茶”の空間が、60年のときを経ても色褪せないことを、『珈琲西武 本店』は教えてくれる。