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“変態性の方向性”が2人は似ている

 アーティストとフィギュアスケーター。フィールドは違っていても、表現者として共通する部分が星野と羽生のあいだにはあるのかもしれない。松重が「方向性が似てるね。変態性の方向性が」と2人を評すると、星野は笑った。

「ちょっと闇を持ってる姉弟。でもね、楽しいよ、闇」

 しかし、である。星野源の番組は「わからなさ」を抱え込む。星野と羽生のあいだで交わされた言葉もまた、テレビを通して聞く側は本当の意味では「わからない」のではないか。

 言葉の意味を想像はできる。こんな話だろうと記述はできる。できるのだが、最終的にはやはり「わからない」はずだ。少なくとも私は、腹の底からは「わからない」。

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 星野と羽生は、何千人、何万人が自分だけを見つめるなかで卓越したパフォーマンスを繰り返してきた。何百人ものスタッフが自分1人のために数多の時間と労力をかけて動くなかで表現をしてきた。だが、そのような経験を、私たちのほとんどがしていない。そんな私たちが2人の言葉に、孤独に、どこまで接近できるだろうか。どこまで本当に「わかる」だろうか。

羽生は星野の『Countinues』について「人生の一曲」だとも語った ©JMPA

「孤独だなって感じてる方の耳にちょっとでもかすってくれれば」「だから、独りよがりのものを作っちゃダメだなって思うんだよね」「それが重くなってツラくなるんですけどね」「そう、その繰り返し」――。

 前提や説明を省きながら間断なく行き来した言葉。最小限の語りでなされた意思疎通。その前で、私は2人の心境や環境を想像しつつも最後には「わからない」とつぶやくほかない。安易な共感は2人の孤独をさらに深めるものでもあるだろう。

 いや、カメラの前でなされた「トーク」で2人がどこまで自分たちの内面を見せていたのかはわからない。語られる闇は、語られない闇よりは明るいだろう。

『おげんさんのサブスク堂』公式SNSより

共通点と…「見せたいんだけど別に見せるつもりはないぜ」

 番組の終盤、2人が自分たちの共通点を改めて語るシーンがあった。羽生がショーのオリジナル曲を星野に依頼するとしたらどんな楽曲がいいか、そのイメージを語った場面だ。

羽生「源さんと僕の中の共通点と、見せたいんだけど別に見せるつもりはないぜみたいな、ちょっと壁を張ってる感じと……」


星野「世間に対してね」

「わからない」は伝わらない。特にテレビでは伝わらない。だが、その「わからない」を伝えてしまう人がいる。「わからない」からこそ惹かれる人がいる。そんな人たちをおそらく、私たちはスターと呼ぶ。