かつて、喫茶店や職場のデスクで当たり前のように吸われていたタバコ。しかし、健康意識の高まりや、路上喫煙禁止、副流煙による第三者の健康被害など、さまざまな要因によって喫煙率は年々下降の一途を辿り、愛煙家の肩身はどんどん狭くなっている。
そんな中、喫煙者のライフスタイルに寄り添うWebメディア「ケムール」が密かな盛り上がりを見せている。喫煙にまつわるコンテンツを発信している同サイトは一見、時代の流れに逆行するニッチなメディアにも見えるが、実は落合陽一氏やひろゆき氏といった今をときめくビッグネームが続々と記事に登場しているのだという。喫煙具メーカーがほそぼそと運営するオウンドメディアがなぜ著名人たちを惹きつけているのか? 編集部の面々に話を聞いた。
「ケムール」が誕生したのは、2020年4月のこと。運営母体は80年以上にわたってライターをはじめとした喫煙具を製造・販売している株式会社ライテックで、代表取締役社長の廣田拓郎さんが「タバコに関するオウンドメディアを立ち上げて情報発信することで、タバコ業界に対して少しでも恩返しをしたい」と考えたのがきっかけだ。
「最初期は紆余曲折がありましたが、2021年2月から制作体制を見直し、『喫煙者の方々が一服している時間に楽しめる“読み物系メディア”』を目指して再スタートを切りました」
そう話すのは、編集部内で「ケムール」に最も長く携わっている藤岡聡さん。当初は編集経験に乏しいスタッフも多く、経験のある藤岡さんがイチから編集部員を育てていった。現在、「ケムール」編集部は、ライテックの社員と外部制作会社のスタッフをあわせて10人体制。喫煙者はそのうち6人だという。
「タバコのメディアなのに意外と少ないでしょうか? でも、非喫煙者が面白いと思う記事はきっと喫煙者が読んでも面白いはずですからね。タバコを吸うかどうかに関わらず、記事を読んで楽しいと感じてくれたら、と思って運営しています。なので、かわいい保護猫を紹介する連載なんかもやっていますよ(笑)」(藤岡さん)
“活字が苦手”な編集長が後押しした“著名人路線”
そんな「ケムール」がターニングポイントを迎えたのは、浅見竜生さんが編集長に就任した2022年12月のこと。浅見さんの異動前のポジションは、紙巻や手巻きタバコ、VAPEなどを扱っているタバコ店「逸品道」の店長だった。紙巻タバコの匂いを嗅ぐだけでタバコ葉の種類を当てられるほどタバコに造詣が深くなっていたという浅見さんだが、全く未経験の分野に飛び込むこととなった。
「編集長になってまず感じたのは、『ケムール』はタバコのメディアなのに“タバコにまつわるコンテンツが少ない”ということでした。もちろんタバコ以外の記事もあっていいのですが、どうせなら何かしらタバコに絡められないかと思ったんです。
あと、実は僕、活字が苦手で……(笑)。でも、そういう人は多いんじゃないかと思うので、活字嫌いの人にもわかりやすく訴求できないものかと考えました」(浅見さん)
そこで浮上してきたのが、愛煙家の著名人を取り上げるという案だった。とにかく影響力がある人に『ケムール』に出てもらい、間口を広げようというわけだ。もちろん、浅見さんが編集長として打ち出すまでもなく、編集部にはかねてから著名人を登場させたいという思いはあった。しかし、「ケムール」というメディアの知名度の低さや、編集部のマンパワーや経験不足から、実現は困難だと判断していたのだ。
今年1月から始まった、愛煙家の著名人にタバコについて語ってもらう連載「たばこのことば」を筆頭に、いくつもの連載を担当する祢津悠紀さんはこう振り返る。
「それまでの『ケムール』では、少しディープでも刺さる人には刺さる記事をあれこれと作ってきましたが、浅見編集長が思い切って広く一般の人に向けてアプローチしようという方向に舵を切ったことで、編集部も背中を押されました。そうは言っても、『たばこのことば』のスタート時は、“本当に取材に協力してくれる人はいるのか?”“毎月続くのか?”と半信半疑な気持ちは拭えませんでしたし、取材依頼もダメもとでしたが……」
ひろゆき氏の記事には「共感と批判が殺到」
今まで50名以上に取材依頼を行なったという祢津さん。案の定断られることが多かったものの、少しずつ興味を示してくれる著名人も現れる。記念すべき1回目のゲストは、メディアアーティストの落合陽一さん。多忙なだけに時間を作ってのインタビュー取材は実現に至らなかったが、落合さんが過去に執筆したタバコについての文章をリライトした記事を寄稿してもらえることになった。
「蓋を開けてみると、かなり多くのことを加筆修正していただけました。落合さんは葉巻とパイプの愛用者。その思いを『私は喫煙という文化が好きで,そしてそれと共にあった思考時間を大切にしてきた人間なのだ』と綴っていただいたことで、非喫煙者からもポジティブなコメントを多くいただきました」(同前)
記事への反響の大きさは、「ケムール」というメディアのポテンシャルの高さを感じさせるものだったと祢津さんは語る。
「大きなメディアではタバコの話はタブー視されているところもありますが、『ケムール』は、気軽に、自由に、タバコについて語ることを受け入れられる貴重なメディア。タバコについて語りづらい今の日本の状況を少し疑ってみてもいいと思うんです」
最も反響が大きかったのは、今年4月に掲載された、実業家のひろゆきさんが登場した回だ。吸いたい時だけ吸うという“機会喫煙者”のひろゆきさんが、タバコを吸う理由や、タバコ規制の話、愛煙家と喫煙家の共存問題など、さまざまなトピックについてストレートに語った。喫煙者でありながら喫煙に対して否定的なコメントもあったことで、SNS上で「共感と批判の声が殺到した」(浅見さん)という。
鳥居みゆきが見せた“変態的な愛煙家ぶり”
ひろゆきさんは、この連載にぜひ登場してほしい! と祢津さんが目標にしていた人物で、連載がスタートしてから取材の承諾までは約4ヶ月を要した。
「知名度がないメディアなので、愛煙家である著名人の好奇心や情、使命感に訴えかけて粘り強くアピールするしかありません。『ケムール』の強みは、タバコについて語れる唯一のメディアということ。それを面白いと思い、価値を感じてくださった方が、この連載に登場されています」(祢津さん)
そういった手法を取っているからこそ、「たばこのことば」のインタビュー記事からは、タバコへの熱い愛が感じられる。
「芸人の鳥居みゆきさんは今まで吸ってきたタバコの銘柄をほぼすべて記憶していたばかりか、それぞれにエピソードまで持っていて、変態的とも言える愛煙家ぶりを見せつけていただきました。また、“Mr.都市伝説”こと関暁夫さんには一服の時間から派生して『これからの人間の生き方』について3時間も語ってもらい、10000字超えの読み応えのある記事になりました。
他にも、社会学者の宮台真司さんが嫌煙社会を痛烈批判したものや、現在はタバコをほとんど吸っていないアナウンサーの古舘伊知郎さんによる“古舘節”全開の『禁煙』エピソードなど、どれをとっても人間らしい面白さがあります」(同前)
ところで、祢津さんはどのようにして愛煙家の著名人を探し出しているのだろうか? 喫煙者であってもそれを公言している人ばかりとは限らないが……。
「SNSでの発言や過去のインタビュー記事、映画の喫煙シーンなどをチェックして、さまざまな人のタバコ遍歴を収集しています。ほとんど“ネットストーキング”状態ですが……(笑)。でも最後に頼るのは『この人は公に発言していないが、おそらく吸っている』という“謎のカン”ですね。確信はあるけど証拠はないという状態で取材依頼をして、『なんで喫煙者だと知っているの?』と驚かれたこともありました(笑)」(同前)
タバコを吸えとも、やめろとも言う気はない
著名人が登場する記事は「たばこのことば」だけに留まらない。鳥居みゆきさんが90年代ファッションを統括する「鳥居服装学院」は、鳥居さんが「たばこのことば」に登場したことがきっかけで始まった。「煙のあった風景」は、危険地帯ジャーナリストの丸山ゴンザレスさんが海外の取材先で遭遇した、喫煙にまつわるエピソードを綴ったもの。また、銀幕を彩った紫煙の名シーン・名優・名監督を紹介する「シガレット・バーン/映画的喫煙術」も長く続いている連載だ。
「子どもの頃、マンガや映画の登場人物がタバコを吸うシーンを“かっこいい”と思ったことがある人は多いはず。少しでもその頃の気持ちに返ってもらい、好きな著名人がこんな考えでタバコを吸ってるんだ、とか、好きな映画や音楽シーンでこんな使われ方をしていたんだ、と素直な気持ちで楽しんでもらえたらと思っています」(浅見さん)
「ケムール」が本格的に喫煙者のライフスタイルに寄り添うWebメディアに舵を切ってから約半年。その挑戦はまだ始まったばかりだ。
「今後は動画コンテンツを増やすのもアリだと考えています。これまでに登場していただいた著名人の方々から感じたのは、タバコは単なる嗜好品ではなく、コミュニケーションツールや自分を形成する手段でもあるということ。編集部として、タバコを吸えともやめろとも言う気はありませんが、もっと多くの人が多様なレベルでタバコについて話せるようになったら良いですし、『ケムール』がその一助になれば嬉しいですね」(浅見さん)