和室の畳下板を外せば「下に剝き出しの土」があると知っていた
「部屋の畳を上げたら下は土になっていると。以前、白アリの駆除で見たことがあるとのことでした。そこに埋めてあげて、骨になるまで待つのはどうかと提案されました」(8月29日・知香の法廷証言)
少なくとも石井と丹羽は、和室の畳下板を外せば下に剝き出しの土があることを、優子さんの死に関連して知っていた可能性が高い。また、新たに埋められる歩夢くんの遺体には、生ゴミなどで堆肥を作る防虫発酵促進剤の粉がかけられたが、それを用意したのが丹羽だった。
「もともとは、そこに一緒に住んでいた中川真史さん(※法廷では実名)が、コンポスト(堆肥)を作るために使っていたものです」(8月30日・丹羽の法廷証言)
その中川さんの訃報が前出のAさんにもたらされたのは、優子さんの“失踪”から1年も経っていない時期だったという。今度は丹羽からの連絡だった。
「真史さんが自殺したという連絡でした。市内のマンションの上から身を投げたと。電話の向こうで、石井がすすり泣く声が聞こえていました」
床下の遺体の存在に病んだのか…石井の父の自殺と遺書
家からは、自死を詫びる中川さんの遺書も見つかった。当時、石井らと付き合いのあった近所の住民が明かす。
「石井から手書きの遺書を見せられました。『お世話になりました』というような言葉が綴られていたのを覚えています。石井からは親戚と聞いていましたが、まさか父親だったとは……。小柄な大人しい老人で、石井の言いなりになっていた印象がありました。歩夢くんの事件後、彼の自殺は優子さんの件が関係しているんじゃないかと、警察にも話しました。同居人が死んで、床下に埋められて、その上で住み続けたら、病んでもおかしくないと思います」
中川の遺書は「葵」宛てになっていたという。石井は「中村葵」と本名を偽って丹羽と知り合い、本庄では「丹羽葵」とも名乗っていた(#5)。不可解なのは、当初の同居人たちが皆、石井の素性を知りながら、嘘の“設定”を受け入れていたことだ。丹羽は、逮捕される日まで、石井を1つ年下の「中村葵」と信じ込んでいたという。結果として、石井の正体を知る本庄の同居人は誰もいなくなっていたのだ。
その後、石井と丹羽は優子さんの年金を不正受給しながら、床下に遺体を埋めた本庄の借家で、何食わぬ顔で生活を続けた。法廷証言によれば、丹羽は、全幅の信頼を置く石井に、自分のカード類や通帳の管理を全て任せていたという。加えて、石井の資金源にされていた1人が、丹羽の父親だった。