「嫁」という言葉を使うのは、いまや微妙なところである。漢字からして女偏に家と書くだけに、専業主婦の多かった昔ならともかく、夫婦共働きの家庭が圧倒的に増えた現状にそぐわないという見方もあるだろう。
とはいえ、「お嫁さんにしたい」という物言いが褒め言葉だった時代があったことは間違いない。きょう9月15日、70歳の誕生日を迎えた女優の竹下景子には、かつて「お嫁さんにしたい女優」というフレーズが決まり文句のように冠された。
「お嫁さんにしたい」の発端は
もともとは、1977年、テレビのトーク番組『すばらしき仲間』で、23歳の新進女優だった彼女が、大物政治家の荒舩清十郎(元運輸相)と稲葉修(元法相)という異色の組み合わせで鼎談した際、荒舩から「息子の嫁にしたいようなお嬢さんですね」と言われたのが発端だった。
のちに竹下は《リップサービスだったと思うんですよ》と語っているが(『週刊ポスト』2020年4月24日号)、当時のメディアはこれに一斉に飛びつく。とくに彼女が前年よりレギュラー解答者として出演していたテレビ番組『クイズダービー』では、司会の大橋巨泉がことあるごとに彼女について「お嫁さんにしたい」のフレーズを使ったため、世間にも定着する。翌1978年には、彼女はずばり「結婚してもいいですか」という歌でレコードデビューもした。
もっとも、当人は《ある一面だけで、あたかもその人全部を表わしているかのような言い方をされる窮屈さもありました。人って、誰でも多面体ですからね。でも、すごく良いフレーズなのに、あまりに不遜ですよね》と、謙遜しつつ当時の複雑な心情を後年明かしている(『週刊ポスト』前掲号)。
芸能界入りのきっかけ
名古屋出身の竹下が芸能界入りするきっかけは高校時代、NHK名古屋放送局が制作していたドラマ『中学生群像』(のちの『中学生日記』)に、当時好きだったラジオパーソナリティで俳優の天野鎮雄が出演しているというので、収録現場へ見学に行ったときだった。