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「ソープ嬢役」を引き受けた理由

 そんな竹下にとってひとつの画期となった作品が、1982年に第1作が放送されたTBS系のドラマ『ソープ嬢モモ子シリーズ』である。これは、TBSのプロデューサー・演出家の堀川とんこうと脚本家の市川森一が話し合うなかで生まれた企画であった。堀川の発案で主人公を風俗嬢にする構想が固まり、では誰に演じてもらうかとなったとき、市川が竹下の名を挙げたものの、「でも、やらねえだろうな」と両者とも思ったという。

 それでもダメ元でマネージャーに連絡をとり、話を持ちかけたところ、竹下は自分のイメージを変えるチャンスだと思って引き受けた。後年、モモ子シリーズのCSでの再放送を機に行われた堀川・市川・竹下の鼎談(現在、U-NEXTで配信中の同シリーズの特典映像として視聴できる)では、本放送当時、劇中での下着姿の彼女の写真を週刊誌がこぞって掲載したため、市川は良心の呵責を感じたと明かした。だが、当の彼女は、役と自分はまったく違うと思っていたので全然気にならなかったらしい。

 実際、それによって竹下のイメージが傷つくことはなかった。そんな彼女を《裸になろうが、ソープ嬢を演じようが、品位がある。クールな感じ。クールなだけではつまらないんだけど、彼女は燃えようと思えば燃えられる》と評したのは、脚本家の山田太一である(『週刊現代』2012年9月15日号)。山田も市川と同じく、ドラマ『丘の上の向日葵』(1993年)など彼女の出演作をたびたび手がけてきた。

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初出演映画『祭りの準備』(1975年)では、ラブシーンを演じて話題に。監督は黒木和雄

『モモ子シリーズ』への出演と前後して、1980年には『和宮様御留』で初舞台を踏んだ。このときの体験は大きく、《ずっとプロ意識をもたないまま仕事をしてきた私が、舞台の仕事のスケールの大きさや、[引用者注:共演した]草笛光子さんのすばらしい女優魂を目の当たりにして、末端でもいいからこの仕事をしていきたいと思うようになりました》という(『清流』前掲号)。

15歳年上の写真家と結婚

「お嫁さんにしたい女優」と呼ばれてきた竹下が実際に結婚したのは1984年、30歳のときである。もっとも、夫となった15歳上の写真家・関口照生との出会いは、その10年以上前にさかのぼる。19歳だった竹下がある地方銀行のキャンペーンガールを務めたとき、そのポスターを撮影したのが関口であった。それ以来、二人はいつしか一緒に食事をしたりする仲になる。

 大学卒業にあたり母親との約束どおり実家に戻るかどうか悩む彼女から相談され、女優を続けるよう後押ししたのも関口だった。彼はこのとき、《世の中に女優志望の人は何千人、何万人といる。そのうちの何人があなたの場所にたどり着けるのか。それを考えたら、今のあなたにはそれなりの責任があるんじゃないか》と説得したという(『週刊朝日』2015年10月16日号)。ただ、そう言った手前、交際を続けながらも、のちのちまで彼女に結婚を切り出せなかったらしい。

 彼女のほうも《その頃はまだ、結婚するときに仕事か家庭か二者択一のような雰囲気があったので、結論を出すまでずいぶん時間がかかりました》という(『婦人公論』2002年6月7日号)。そんな二人を取り結んだのは愛犬だった。