するとディレクターに「暇だったらここへ来て生徒役で座ってもいいよ」と言われ、以来、月に1回か2回、土日に行われる収録に参加し、生徒役の一人として教室の席に座るようになった。当初はセリフもなくその他大勢の一人としての出演であったが、そのうちに物語のなかで重要な役も任されることになる。
高校卒業直前、東京女子大学への進学も決まっていたところ、NHK大阪から依頼されてドラマ『明智探偵事務所』に出演。このとき主演の夏木陽介が「東京に来たら連絡しなさい」と言って、自身の所属する三船プロダクションの名刺をくれた。
上京したらあくまで学業に専念するつもりで、母親とも卒業したら帰郷する約束をしていた。だが、好奇心には抗えず、三船プロを訪ねると、大学在学中は“三船プロ預かり”という形で仕事をすることになる。1973年にNHKドラマ『波の塔』で本格デビューすると、翌年、同じくNHKの『ふりむくな鶴吉』のヒロイン役で人気を集めた。
いつしか「三択の女王」に
『クイズダービー』に出始めたのは大学を卒業間近の頃だった。当時はまだ大学に通う女優が珍しかったなか、出演を始めるや正解率の高さから知的なイメージがついた。とりわけ三択問題を得意としたため、「三択の女王」とも称される。
同番組には1992年の最終回まで16年間出演を続け、その後も「見ていました」と声をかけられることが多いという。《「竹下さんの代表作は?」と聞かれたら「クイズダービー」といいたくなるほど、私にとっては大きな財産になっています。そのおかげで女優の仕事だけでなくタレントとしての仕事もいただけて、生きる世界が広がりました》と、彼女はいまなおこの番組に感謝している(『清流』2022年1月号)。
若い頃の出演作では、ひたむきに男性に思いを寄せる女性役の印象が強い。橋田壽賀子脚本の単発ドラマ『女たちの忠臣蔵』(1979年)で演じた大工の姪・しのもそうだった。しのは、恋人で赤穂浪士のひとり岡野金右衛門(演じたのは18代目中村勘三郎)の求めに応じ、彼の素性も意図も知らないまま、吉良邸の絵図面をおじから入手して渡す。
ドラマの終盤、赤穂浪士の吉良邸討ち入りを知った彼女は、金右衛門に利用されたのだとようやく気づき、恨みを抱きながらも、やがて思い直すと、彼が討ち入り後に預けられた大名屋敷に向けて鼓を打つ。鼓には彼と一緒に稽古をした思い出が込められていた。このときの竹下の演技は、しのは単なる哀れな女性ではなく、情熱を内に秘めていたことを気づかせるに十分だった。