今上(きんじょう)陛下はあと十数カ月で譲位される。その理由は、80歳代なかばという高齢になられ、「象徴天皇としてのお務め」を十分果たせなくなる前に、それを次世代の皇太子殿下へ譲り渡したい、という真摯なご意向による。
これは高齢化社会における世代継承の在り方として、一般国民の大多数に理解と共感がえられた。それゆえに、皇室典範の定める終身在位の原則を残しながら、例外的に高齢の天皇が退位し、皇嗣が直(ただ)ちに即位する“高齢譲位”を可能にする「特例法」が、衆参両院で出席議員満票の賛成により成立したのである。
「元号法」が制定された経緯
このような高齢譲位であれ、従来のような終身在位であれ、皇位の継承に伴い行われるべきことが、年号=元号を改め定める「改元」である。とくに「明治」改元の際(1868年)、従来いろいろな理由でしばしば変えてきた旧制を変革し、「一世一元、以(もっ)て永式と為す」(改元詔書)ことが原則とされた。
それを承けて、明治22年(1889)勅定の「皇室典範」に「践祚(せんそ)ノ後、元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ビ改メザルコト、明治元年ノ定制ニ従フ」という「一世一元」(一代一号)の制が明文化された。
そこで、同45年(1912)7月30日、および大正15年(1926)12月25日、天皇が崩御されると、直ちに「大正」および「昭和」の新元号が建てられ、即日施行されたのである。
しかし、戦後「日本国憲法」のもとで一法律として制定された新「皇室典範」には、元号(改元)の規定がない。そのため、昭和天皇が崩御されたら、元号制度は消滅せざるをえなくなった。
「元号法」成立直後から万一に備えた
それを憂慮する各界有志多数の努力により、昭和54年(1979)に成立したのが「元号法」にほかならない。その本文は次の二項から成る。
(1)元号は、政令で定める。
(2)元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。
この「元号法」によって、(1)それまで改元は天皇の勅定(ちょくじょう)を原則としてきたが、現行憲法で天皇は「国政に関する権能を有しない」と制約されているため、政府が「政令」で改元することになった。しかし、(2)その元号は「皇位の継承があった場合」のみ改める“一世一元”の原則は受け継がれたことになる。
そこで、政府は「元号法」成立直後から、昭和天皇(当時78歳)の万一に備えて、新元号の文字案を用意するため、漢文学などの専門家数名に考案を依頼した。それから10年近く、考案者が他界すると新しい考案者に提出を求めてきた。ただ、天皇崩御を想定しての作業であるから、関係者は秘密が絶対に漏れないよう、非常な苦心を続けたようである。