3月14日に76歳で亡くなったイギリスの物理学者スティーブン・ホーキングは、1942年1月8日に生まれた。ホーキングはしばしば、この日は近代科学の創始者のひとりガリレオ・ガリレイのちょうど300年後の命日だったと、いかにも運命的な巡り合わせのように語りつつ、《もっとも、私の推定ではその日にはだいたい二〇万人の赤ん坊が生まれているはずですが》とジョークを飛ばしたという(『ホーキング、ブラックホールを語る BBCリース講義』佐藤勝彦監修・塩原通緒訳、早川書房)。

2009年、オバマ大統領から大統領自由勲章を授賞されるホーキング博士 ©getty

「私の当初の狙いは、空港の本屋で売られるような本を書くことだった」

 ホーキングは、ブラックホールの研究などで数々の業績を残した。その活動の範囲はアカデミズムの枠を越え、テレビに出演したり、宇宙の誕生について一般向けに書いた『ホーキング、宇宙を語る』(1988年/邦訳は1989年)が世界的なベストセラーになったりもした。この本について、専門家からは《語られる内容が研究の産物か、想像の産物なのか。確証に基づいたものは何もない》といった冷ややかな声もあったが(『SPA!』1989年9月20日)、本人は《私の当初の狙いは、空港の本屋で売られるような本を書くことだった》と説明している(2018年3月13日付 ロイター)。

英「ガーディアン」サイトでの追悼記事

 しかし著書の内容以上に私たちにインパクトを与えたのは、車椅子に乗り、音声合成装置を使ってコミュニケーションをとる姿だろう。これはケンブリッジ大学院に在籍中、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、しだいに筋肉が麻痺していったうえ、40代に入ると肺炎の気管切開手術により声も失ってしまったためだ。そんなハンディキャップを抱えながらも宇宙の謎に挑み続けるホーキングの存在は、多くの人の心をとらえた。

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2012年、「ビッグバン・セオリー」に出演したホーキング博士