『ナンセンスの練習』『江戸のデザイン』『ナチス・プロパガンダ 絶対の宣伝』『歳三の写真』など多くの著作を残した文筆家の草森紳一は、2008(平成20)年3月20日、70歳で亡くなった。きょうはその10年目の命日にあたる。

没後10年を迎えた草森紳一 ©文藝春秋

 慶應義塾大学卒業後、婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)の編集者を経て文筆活動に専念するようになる。執筆テーマは、マンガ、広告、デザイン、写真、建築、歴史など多岐にわたった。1966(昭和41)年には、月刊誌『話の特集』で「手塚治虫の功罪」と題して、当時の手塚マンガの表現の衰えを指摘したところ、手塚本人が反論の文章を書いて編集部に直接届けに来たというエピソードも残る。

 著作ではおびただしい数の文献が参照され、その暮らしも常に本とともにあった。1977年には郷里の北海道音更(おとふけ)町に「任梟盧(にんきょうろ)」と名づけたサイロ型の書庫を建てて約3万冊を収めたが、その後もなお蔵書は増え続けた。2005年に著した『随筆 本が崩れる』(文春新書)では、都内の自宅マンションにあふれかえる本と格闘するさまがつづられている。亡くなっているのが見つかったのもこのマンションだった。約3万2000冊におよぶ蔵書は没後、廃校となった東中音更小学校で保管され、2010年にはそのうち約2000冊を展示する「草森紳一記念資料室」が帯広大谷短期大学にオープンした。

ADVERTISEMENT

 雑誌連載のなかには生前に単行本化されなかったものもあり、『中国文化大革命の大宣伝』(芸術新聞社)など没後も著書があいついで刊行されている。つい最近も、郷里の友人である嵩(だけ)文彦の詩とともに、それについて草森が書いた未発表の評論を収めた『「明日の王」詩と評論』(未知谷)が出たばかりである。