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拘置所で「角川さんは死なないと出られません」と言われた――KADOKAWA前会長が手記公表「囚人生活の226日」

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<9月14日午後、特捜部に4度目の呼び出しを受けた。場所は恵比寿のウェスティンホテル東京。この日はツインルームに案内される。任意の聴取だと当然思っていたが、部屋に入るや否や、いつもの検事と事務官がいきなり「逮捕します」と言い放った。不意打ちだった。

 これが特捜部のやり口なのか。逮捕容疑の説明もなく、手錠を掛けられ、腰に縄を付けられる。場違いなほど華やかな色の縄だった。検事が勝ち誇った顔で「感想はありますか」と聞いてくる。私は動転して「ずいぶん急ぐんですね」と答えるのが精一杯。鈍く銀色に光る手錠には、ずっしりとした重量感があった。>

 そして角川氏は検察官によって車に乗せられ、ホテルから小菅にある東京拘置所へと連れていかれた。7カ月間にわたる長い勾留が始まった瞬間だった。

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小菅の東京拘置所 ©時事通信社

保釈が認められなかった理由

 日本の検察の取調手法は、証拠よりも自白に偏重していると言われる。その最大の武器が、逮捕・起訴した相手を長期間にわたって勾留する“人質司法”だ。刑事訴訟法では、起訴後の勾留期間は原則2カ月とされる。だが特に継続の必要がある場合、検察官の勾留延長請求を裁判所が認めれば、1カ月ごとに勾留を更新できる。

<昨年9月、東京地検特捜部に逮捕されて以降、身柄を拘束された期間は、通算で226日間に及んだ。保釈請求がなかなか通らなかった理由は、「逃亡や証拠隠滅の可能性がある」ということだった。

 私は高齢で持病もある。顔も知られている。現実的に逃亡することが有り得るだろうか。また私が会社の関係者に働きかける可能性があるとするならば、保釈条件にそれを禁ずる旨を記載すればいいだけの話だ。

 ではなぜ保釈が認められなかったのかというと、その背景には、一貫して容疑を全面的に否認したことがあると私は見ている。

 おそらく、多くの方が、東京五輪のスポンサー契約を私がトップダウンで決めたと誤解されているだろうが、そんなことは無い。そもそも私にはスポンサーになるという発想は無かった。東京五輪への思い入れも、特にあるわけではない。>