ムハンマドという28歳のシリア人の外科医だ。
夜通しで何十人もの緊急患者への対応をして、僕よりもはるかに疲れているはず。それなのに、わざわざそのことを伝えに来てくれた。活動責任者である僕を勇気づけようと思ってくれたのだろう。そんな彼に、僕は感謝した。
多くの命が無残に奪われた一方で、その日の夜、新しい命も誕生していた。
いくつもの生と死が同時に起きていたことに、彼と僕は紛争地の病院がもつ使命のようなものを感じていた。
「イスラム国」と名乗るグループが姿を見せはじめ……
「たしかにこの病院は必要とされているね。できる限りのことをやろう」
心の中でそうつぶやきながら、僕は立ち上がった。
それから、約半年が過ぎた。
1年契約が終了する前に、アレッポの近くにもうひとつ病院を開設する提案の承認がヨーロッパの統括部門から下り、僕は休暇に入った。
だが、休暇の途中にシリアにまた呼び戻されてしまった。
新しくオープンした病院のスタッフが、あるグループに拉致されたという。現地の反政府グループと豊富な人脈をつくっていた僕は、危機対応のチームを率いることになった。
シリアから離れて2か月も経っていなかったのに、アレッポはもう雰囲気が変わっていた。あちこちにコンタクトしてわかったのは、その当時、反政府グループの中でコントロールが利かないグループがひとつ出てきたということ。
それはISIL、のちに「イスラム国」と名乗るグループのことだった。
彼らがどういうグループなのか、そのころははっきりとわからなかった。日本人の2人がオレンジ色の服を着せられ殺害された事件が起きる、まだ2年近く前のことだ。
調べていくと、すべてのベクトルが現地スタッフを拉致したのはISILだと示していた。僕は信頼できる現地スタッフと共に、拉致されたスタッフ解放の交渉にあたることになった。外国人の方が狙われる可能性が高いので、トルコ側から毎日連絡を取り合い、24時間対応でパソコンにへばりついた。
約1か月が過ぎ、なんとか無事にそのスタッフの解放にこぎつけることができた。
このグループのその後の行動の残虐さを考えると、奇跡に近い出来事だった。
病院に彼が着いたという連絡を受けたとき、一目散に会いに行った。そこには新婚だった彼の奥さんもいた。
「ありがとう。本当にありがとう」
あのときの彼女の笑顔。いまだに忘れられない。心からホッとした瞬間だった。スタッフも解放され、もうお役ご免。日本へ帰ろう。
そう考えて帰国の準備をしていたとき、また別のニュースが飛び込んできた。