2014年、西アフリカのシエラレオネ。人類と、致死率60%とも90%とも言われるエボラとの戦いは想像を絶していた。人員も設備も不足した現場では、誰に看取られることもなく、多くの命が失われていく。

 苦境の現地でエボラと戦う小児科医・加藤寛幸さんが見た光景を、新刊『生命の旅、シエラレオネ』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

国境なき医師団日本の元会長で小児科医の加藤寛幸さんが見た「エボラ患者たちの壮絶な戦い」とは? ©Hiroyuki Kato/MSF

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エボラ治療センターで見た患者たち

 最後の区画はコンファームド(Confirmed:確認された)、つまり血液検査でエボラ感染が確確認された人たちのエリアだ。

 ここには、急性期患者用の4つのテント、快復期患者用の4つのテントがあり、最大80人の患者さんを収容できるようになっていた。

 この区画のテント内には、極端に衰弱し意識が朦朧(もうろう)とした患者さんをはじめ、歯ぐきから出血している人、痛みにうめき声を上げる人、止まらない嘔吐に悶(もだ)える人など、多くの重症患者が収容されており、文字通り、人間とエボラとの死闘が繰り広げられていた。

 このエリアでは、テントの外に出ている患者さんであっても、椅子に座っている人はおらず、ゴザのようなマットに横たわっている人ばかりで、中には呼びかけてもほとんど反応がないような、瀕死の人もいた。

著者たちがエボラ治療センターのあるシエラレオネ、カイラフンに向かう車は、悪路で立ち往生した ©Hiroyuki Kato/MSF

 その凄まじい光景を目の前にしてようやく、ここは紛れもないエボラと人類との戦いの最前線であると実感した。生きるためにエボラと戦う人たちの、もがき苦しむ叫び声、その息遣い、そして一挙手一投足の全てが僕を圧倒していた。

 生と死の間に境界線があるとすれば、その線はここにも引かれているに違いない。目の前で繰り広げられる戦いの凄まじさに圧倒されながらも、なんとか冷静を保たなければと自分に言い聞かせ、エボラ治療センター内の診療全般に関する責任者であるイタリア人看護師、マッシモのあとについてコンファームド・エリアのテントを一つずつ回っていった。