コンファームド・エリアの4番目のテントに入った時、僕たちを呼ぶ声を耳にした。防護服のフードを被っているために聞き取りにくかったが、その声がこどもの声だということはすぐにわかった。それは、ベッドに横たわる幼い少年から発せられたものだった。たどたどしい英語で僕たちに何かを伝えようとしていた。
マッシモが彼のそばに近づき、声をかけている。「トーマス、どうしたの、何か欲しいの?」と。
その少年はトーマスという名の9歳の男の子で、一緒に入院してきた母親を数日前に亡くしていた。ひと目で彼の状態が良くないことが見て取れた。ベッドの上に起き上がることもできず、身体はひどく衰弱し、声を出すのがやっとという様子だった。それでもトーマスは、マッシモに必死に何かを伝えようとしていた。
トーマスのつたない英語をフード越しに聞き取ることは容易ではなく、彼の意図を理解するのにかなりの時間を要したが、ようやく彼の言わんとすることがわかった。彼は身体を洗ってほしいと訴えていたのだ。
衰弱していても清潔でいたい
これほどまでに衰弱した少年が身体を洗いたいと願うことを意外に思う人もいるかもしれないが、僕にとっては特別不思議なことではない。日本でも生死の境をさまよう重症のこどもたちが、風呂に入りたいと言うことは珍しくないからだ。アフリカでも日本でも、生死の境をさまよいながらも、身体を洗いたい、風呂に入りたいと思う気持ちに違いはないようだった。
しかし、彼の要望を聞いて僕が初めに思ったことは、「希望を叶えてあげたいとは思うけど、それはさすがに無理だろう」というものだった。
ここはエボラの最前線なのだ。日本のように病人用の風呂やシャワーが完備されているわけではない。テントの中には、木枠にビニールシートを張っただけの簡単なベッドがあるだけだ。ましてエボラは体液を介して感染するため、オランダ・アムステルダムの派遣前トレーニングでは、「救命に関わる場合を除いて極力患者に触れるな」と言われ続けた。
かわいそうだけど、トーマスの願いは叶わないだろうと思ったその時、マッシモが僕に声をかけてきた。「手伝ってくれるか」と。僕は耳を疑い、聞き返した。「彼の身体を洗うつもりなのか」と。マッシモは「そうだ」とだけ言って、テントから出ていった。