国境なき医師団の小児科医として、2014年に西アフリカのシエラレオネに渡った加藤寛幸さん。エボラによって、誰に看取られることもなく、多くの命が失われていく現場を描いた新刊『生命の旅、シエラレオネ』より一部抜粋してお届けする。今回はシエラレオネの活動の数カ月前に訪れた南スーダンでのエピソードを紹介。(全2回の1回目/後編を読む)
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うだるような暑さの南スーダン
最強で回る扇風機の、うなり声のような風切り音が狭いトゥクルの中に響いていた。
南スーダン、アウェイルの病院から車で5分ほどの距離にある国境なき医師団のコンパウンド(事務所と宿舎が塀で囲まれた敷地の中に点在しているところ)の敷地内に外国人スタッフの宿舎用として、およそ5メートル間隔で立つトゥクルが20ほどあり、加えて、日本の昔の長屋のような宿舎が2棟、設置されていた。
トゥクルとは、円形をした土壁の上に干し草を葺(ふ)いた、とんがり屋根の直径4メートル、高さ4メートルぐらいの小屋で、スタッフ1人に1つずつ与えられていた。トゥクルの中に置かれているのは、蚊帳の付いたベッドと、小さなテーブル、扇風機ぐらいのもので、基本、ガランとしていて、昼でも薄暗い。
窓とドアがそれぞれ1つずつ付いているが、木の窓、木のドアで、隙間だらけのため、トゥクルの中には蚊をはじめとするさまざまな虫が自由に出入りしている。夜、ベッドに横になって見上げると、屋根の干し草の隙間からたくさんの星が見えるぐらいの、いたって大雑把な作りの小屋だ。
夜には多少気温が下がるとはいっても、30℃を下回ることは珍しく、そのうえ、常にジメジメと湿度が高いため、トゥクルの中はとても快適とはいえず、僕は常に扇風機を最強で回していた。
うだるような暑さと扇風機の轟音に打ち勝ち、やっとのことで眠りについたとしても、枕元に置いたトランシーバーは、僕が南スーダンの過酷な現実から唯一解放される眠りでさえも、ほぼ毎晩のように奪い取っていた。