心理療法士のシンディと共に、4歳の女の子イサトゥにその母親の死を説明するという、難しい場面に遭遇した小児科医・加藤寛幸さん。シンディは、目の前の難題にどう立ち向かったのか? そして、加藤さんが涙をこらえきれなかった女児の反応とは? 新刊『生命の旅、シエラレオネ』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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4歳女児に「母親の死」を伝える
15時前に国境なき医師団の外国人スタッフであるアメリカ人心理療法士、シンディがセンターに来てくれた。4歳の女の子イサトゥとその母親の入院と死の経緯を改めて説明したあと、イサトゥとの話に同席させてもらいたいと伝えた。
元々小児が専門の心理療法士であるシンディは、アムステルダムで行われた二日間のエボラトレーニングを一緒に受け、その後、カイラフンに入ったメンバーの一人だった。彼女は同席することを快く許してくれた。(中略)
エボラの活動に参加すること、エボラの患者に接することに不安をおぼえていた僕にとっては、エボラトレーニングはとても有意義なものだった。だが、初めての防護服を着てのトレーニングでは、気温20°C以下という11月のアムステルダムの好条件にもかかわらず、途中から頭痛に見舞われ、防護服を脱ぐ時にはフラフラになってしまった。かえって不安を抱えてシエラレオネに入ることになったが、今ではそんなことも懐かしく感じられる。
トレーニングの合間には、参加者ともさまざまな話をした。シンディとは小児専門の心理療法士と小児科医ということで意気投合し、カイラフンで一緒に働くことを楽しみにしていたが、4歳の女の子に母親の死を告げることが彼女との最初の仕事になるとは。
シンディと、通訳をしてくれる現地の心理療法士の3人で防護服に着替え、ハイリスク・エリアに入った。髪の長い人形とシールを持って、真っすぐイサトゥのところに向かう。彼女に声をかけながらゆっくり近づく間も、僕の顔をじっと見つめるイサトゥを見ながら、僕は必死に涙をこらえていた。そして、彼女の前にしゃがんでその肩に両手をのせて声をかけた。
「今日はシンディさんから大切なお話があるよ」と。
テントの外で休んでいる患者さんたちがいたが、彼らから少し距離のある、コンファームド・エリアの一角を選んで、椅子を4つ用意してからイサトゥを案内した。僕以外は会ったことのない人だったせいか、イサトゥは黙って僕と手をつないでその場所に向かう。