イサトゥは一瞬表情を崩し、目には涙が浮かんでいたが、声を上げて泣くことはなかった。4歳の女の子が母親の死を告げられてどんな反応をするのか、僕には十分予想できていなかったが、イサトゥの様子は僕の想像をはるかに超えるものだった。彼女は、泣かないように必死に頑張っているように見えた。
僕もイサトゥの手を握ったまま、涙を必死にこらえようとしたが、溢れ出す涙を止めることはできず、声を上げないようにするのが精いっぱいだった。イサトゥが泣いていないのに僕が泣いてるのはおかしいだろうと思っても、溢れる涙を止めることはできなかった。
シンディは、一人で病気と戦っているイサトゥにご褒美だと言って、持ってきた人形とシールを渡した。彼女は何も言わずに人形を手に取ったが、その表情は変わらず硬いものだった。現地の心理療法士がイサトゥに声をかけて、彼女を他のこどもたちがいるところに連れていった。僕が泣いていて、役に立たないと思ったのだろう。
シンディは僕の肩を叩いて言った。「彼女はまだ母親の死を十分に理解できていない。これから何年もかけて少しずつ理解していくことになるのよ」と。「それでも彼女が心に大きな傷を負ったことに変わりはないから、しっかり見守って支えてあげなければならない」と続けた。
僕にできることは何だろう
僕はいつまでも泣いてばかりいられない、少しでもイサトゥの支えにならなければと考えたが、果たして僕にできることは何だろう。彼女に声をかけ続けること、彼女がエボラから快復し、無事にここから退院できるようにすることぐらいしか思いつかなかった。
イサトゥがこれから立ち向かっていかなければならない哀しみは、何年も何十年も支えを必要としているのに。
防護服を着ての活動は頭のてっぺんから足の先までびしょ濡れになるため、涙でびしょびしょになった顔をごまかすのには好都合だった。ハイリスク・エリアを出たあと、少し休憩を取ると、再びハイリスク・エリアに向かった。イサトゥのことが気にかかったが、僕は回診を続けた。
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