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《横浜乳幼児医療過誤死》「顔じゅうの穴から血が出ていました…」致死率0.01%の検査で愛娘を失った父母が選んだ病院との「11年戦争」

 2010年9月、神奈川県にある済生会横浜市東部病院で、ひとつの幼い患者の命が失われた。患者の名前は中島莉奈ちゃん。ようやくつかまり立ちができるようになった、まだ生後11カ月を迎えたばかりの女の子だった。

 亡くなる直前に莉奈ちゃんは、肝臓の組織を採取する「肝生検」という検査を受けていた。警察による司法解剖の結果、遺族に伝えられた死因は「肝生検に起因する失血死」。しかし病院や検査を担当した医師は、莉奈ちゃんの死因は世界でも極めて症例の少ない「ミトコンドリアDNA枯渇症候群」だと主張。肝生検時の過失によるものではないとして、医療過誤を認めなかった。

「死ぬような検査ではない」と説明されていた肝生検で、なぜ娘は死ななければならなかったのか――。莉奈ちゃんの両親が真相究明を求めて起こした民事裁判では、病院側による杜撰な処置や電子カルテの矛盾が次々と明らかになり、今年3月に両親側の勝訴に近い和解という形で幕を閉じた。

 文春オンラインは莉奈ちゃんの母・朋美さんと父・邦彰さん(ともに仮名)へのインタビューを実施。そこで両親の口から明かされたのは、11年あまりに及ぶ病院側とのあまりにも壮絶な戦いの記録だった。(全2回中の後編を読む)

 ※インタビューでは中島さん夫妻は病院名を明かさなかったが、裁判に関する報道や文春オンラインによる調査等によって済生会横浜市東部病院であることが明らかとなっているため、本記事では病院名を掲載することとした。

わずか11カ月でこの世を去った莉奈ちゃん

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運命が大きく変えられてしまったきっかけ

 莉奈ちゃんは2009年9月25日、中島家の第2子として誕生した。「莉奈」という名前は、中島さん夫妻が音の響きを気に入って決めたのだという。

「体重1700gほどのいわゆる未熟児として生まれたので、生後すぐはNICU(新生児集中治療管理室)に入っていました。私が退院した後も1週間ぐらい、母乳を持って病院に通いました。身体は少し小さめでしたが、健診では順調な成長曲線だと言ってもらえて、ホッとしたのを覚えています」(朋美さん)

 周囲の大人からもおとなしいと評判で、聞き分けの良い子に育っていった莉奈ちゃん。4歳上の長男にも溺愛され、おもちゃを手渡されると嬉しそうにキャッキャと声をあげるなど、元気に過ごしていた。しかし2010年6月、ある異変をきっかけに、その運命が大きく変えられてしまうことになった。

「熱がなかなか下がらなくて、かかりつけの病院で血液検査を受けたんです。その結果を見たお医者さんが、『肝臓の数値が少し悪いですね。肝炎かな?』と首を傾げておられました。通常の値を少し越えていたぐらいではあったんですが、やっぱり気になって……何度か診てもらううちに、肝臓の専門医がいると紹介されたのがあの病院でした」

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