僕は、そばで見ていたもう1人の看護師モハメドに、扇風機を回して、ハエを追い払うように言った。扇風機は唸りをあげて回転を始めた 。ハエは、風を避けるように散らばり、僕の手にとまることはなくなったが、待機しているかのようにすぐそばの壁の上に集まっていた。
心肺停止となり心肺蘇生を始めてから30分を過ぎても、末梢の点滴ルートを確保することはできず、彼の心臓が再び動き出すことはなかった。
そして、僕が扇風機を止めると、壁にとまっていた無数のハエたちは患者さんの身体に群がり始めた。僕はハエをはらい、バスタオルをかけた。
アンとともに、亡くなった男の子の家族に説明を済ませると、2人で宿舎に向かった。
骨髄針を調達できていなかったことを、アンに謝った。彼女は何も答えなかった。
「どれ1つ目標を達成することはできなかった」
宿舎に戻ると、辺りは白み始めていた。
僕は再びベッドに横になったが、扇風機の音が、たった今、わずか1年足らずの人生を終えた男の子のこと、僕の手に群がった無数のハエのことを思い出させ、眠りにつくことはできなかった。
こんな生活が2カ月を過ぎた頃から、ヘトヘトに疲れてベッドに入っても、以前のように暑さと扇風機の轟音に打ち勝てなくなり、眠れない日々が始まった。残された1カ月の任期を無事に終えることが、とてつもなく難しい苦行であるかのように感じられたのもその頃だった。
こどもたち全員を救いたい。使用できる医薬品や診療基準などの問題点を少しずつでも解決したい。国境なき医師団初参加のアメリカ人とフランス人小児科医の盾となって、彼らを支えたい。どれ1つ目標を達成することはできなかった。ただ単に、自分の力以上のことを望んでしまっていたのかもしれないが。
*
今でも夜、1人で静かな暗い部屋の中で扇風機を回すと、あの晩のことが思い出され、自分の鼓動が速まるのを感じて、慌てて扇風機を止めてしまう。
南スーダンから戻ってもう随分たつが、まだ夜は扇風機を回せないでいる。
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