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「目の前にいるのは、エボラウイルスなんかじゃない」

 マッシモについてテントを出ると、彼はバケツに水を汲んでいた。そして僕に、背もたれのある椅子とタオルを用意するように命じた。状況がつかめないままだったが、テントの外にあった、日本でも見かけるような屋外で使うプラスチック製の背もたれ付きの椅子とタオルを用意した。マッシモはバケツ一杯の水と石鹸を持ってきて、僕に椅子をテントの前に置くように言った。テントの外までトーマスを連れ出し、この椅子に座らせて身体を洗うというのだ。

 マッシモはカナダ人医師ブルースとともに両側からトーマスを支え、なんとかテントの外の椅子に座らせた。トーマスの衰弱は予想以上で、自分一人で座っていることさえままならない。

 ブルースが、椅子に座るトーマスを支えている。マッシモはトーマスに声をかけながら、バケツの水を彼にかけ、そして石鹸を僕に手渡した。僕は「えっ!?」と一瞬驚き、どうしたらいいか迷いながも、トーマスの前にひざまずいて彼の身体を洗い始めた。同僚たちにエボラを怖がっている様子など見せたくないという見栄もあった。正直言えば、ざっと洗っていれば、きっとマッシモが「もういい」と言ってくれるのではないかと思っていた。どこかでそれを期待していた。

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 僕は、マッシモの「もういい」と言う声を待ちながら、おそるおそるトーマスの身体を洗い始めたが、その身体に触れてすぐに驚きのあまり手を止めてしまった。

 高熱がある彼の身体が熱いのは当たり前だとわかっていても、2枚重ねの手袋越しに伝わってくるその熱さに驚かされた。そしてトーマスの身体の熱さとともに伝わってくる、9歳の少年の柔らかな感触に、僕は脳天を叩かれたように感じた。

 極言すれば、彼の身体に触れる前の僕にとっては、目の前の9歳の少年はエボラウイルスでしかなかったのだ。しかし、手袋越しに伝わる熱と柔らかな感触が、僕に当たり前のことを思い出させてくれた。

「目の前にいるのは、エボラウイルスなんかじゃない。僕の前にいるのは、一人の幼い少年なのだ」