スーダン、シリア、イラク、イエメン――。世界の紛争地区で避難する人々は着のみ着のまま逃れ、家も学校もない。そんな過酷な場所で生き抜いている人々を目の当たりにしてきた国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎氏の著書『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』から一部抜粋し、再構成。

 イスラム国が勢力を増し始めたシリアでの“痛恨の日々”を振り返る。(全2回の2回目/前編を読む)

©️MDF

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頭が吹き飛ばされ首がない遺体

 それは突然、ある冬の夕方に起こった。

「ドーン!!!」というものすごい衝撃音。あわてて僕たちは建物の中に避難した。

 直後に、映像でしか見たことがないような大きな“きのこ雲〞がはっきり見えた。

 南に4キロメートルほどしか離れていない町が、シリア軍からミサイル2発の空爆を受けたのだ。この日は週末で、その町に買い物に来ていた女性や子どもを含む多くの一般市民が犠牲になった。

 そのころ、国境なき医師団は、アレッポ県北部のトルコとの国境沿いの小さな村で、小学校の校舎と校庭を病院として使っていた。

 すぐに僕はチームに、多数の死傷者に一度に対応する緊急のプランを発令した。

 次々と病院に搬送されてくる患者たち。1時間で25人の重傷患者が運ばれてきた。

 医療スタッフではない僕と現地のスタッフは、2人で急いで遺体安置室のスペースを確保した。 ある患者が車からタンカで降ろされて病院の中に運ばれた。緊急治療室に行ったと思ったら、遺体安置室にすぐに運ばれてきた。

「どうしたんだ?」と聞いたら、「もう死んでいる」ということだった。

 見てみると毛布でくるまれたその女性の体は、頭がまるごと吹き飛ばされ、首から上がなかった。よほどパニックになっていたのだろう。倒れている人たちを手当たり次第にとにかく車に乗せて病院に運ぼうとして、気がつかなかったのだ。

 結局、その空爆で120人ほどの死傷者が出た。

 その夜は雪が降り、ものすごく冷えた。

シリア人外科医の言ったひとこと

 自分の家族の無事を確かめるため、多くの人たちが病院を訪れてきた。そのなかに、前述の亡くなった女性の家族もいた。空爆のあとずっとあちこち捜して、ここに運ばれたのではないかと彼らがたどり着いたときには、もう夜の10時をまわっていた。

 頭部がなくても自分の家族だと判別できたときの、子どもたちと夫の叫び声―。

 病院中に響き渡った。僕はいたたまれなくなって外に出た。

 手袋をしていなかった手はかじかみ、吐く息は白かった。

 月だけが、静かに明るい夜だった。

 明け方、疲れきって階段にすわりこんでいた僕のところまできて、こう言ってくれたスタッフがいた。

「シンジロー、昨日の夜ここで6人の赤ちゃんが生まれたんだって。この病院は本当に必要とされているよ」