スーダン、シリア、イラク、イエメン――。世界の紛争地区で避難する人々は着のみ着のまま逃れ、家も学校もない。そんな過酷な場所で生き抜いている人々を目の当たりにしてきた国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎氏の著書『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』から一部抜粋し、再構成。

 ここでは性暴力が横行し、今世紀最悪の大虐殺が発生したと言われる「ダルフール紛争」の難民キャンプを訪れた時の様子をお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)

©️Susanne Doettling/MSF

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気温45度。強烈な暑さと臭い――着いた時から吐き気がした

 ようやく足を踏み入れることができた人道援助の最前線。

 アフリカ・スーダンのダルフール地方にある国内避難民キャンプをはじめて訪れたとき、僕は興奮していた。

「やっと自分のやりたかった仕事ができる」

 サラリーマンを辞め、1年以上のフリーター期間を経てつかんだ国境なき医師団でのはじめての仕事。苦労はあったけれどこれで報われる。

 だが同時に、28歳当時の僕は都合のいいことも考えていた。

「現場での人道援助を1、2回だけ体験して、あとはMBA(経営学修士)を取りに行こう。そしてその後、キャリアを活かして順風満帆な人生を送ろう」と。

 ところが、とんでもなかった。ここからが怒濤の国際人道援助「現場10年」の始まりだった。

 いまだから告白する。この避難民キャンプを訪れた初日、2時間ぐらいですぐに日本に帰りたくなっていた。とにかく強烈だったのだ。暑さとにおいが―。

 その日の気温は45度。車にエアコンはなく、着いたときから吐き気がして足元はフラフラ。患者であふれかえった待合室、満床の入院病棟、子どもたちの泣き声。五感に飛び込んでくるすべてに圧倒された。