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“ボットン便所”の強烈な臭いでノックアウト

 医療現場で使う消毒液と、たくさんの入り乱れる人のにおいにめまいがして、すぐにトイレにかけこんだ。

 トイレは清潔には保たれていた。だが日本のような水洗式ではなく、いわゆる“ボットン便所”。汲み取り式でもなく、いっぱいになったらそのまま埋めてしまい、また新しいものをつくる形式。

 その排泄物の強烈な臭いで鼻がもげそうになり、そこであえなくノックアウト。意気揚々と行ったのに、その後は仕事にならず、宿舎に帰る時間まで休憩室で横になっていた。自分が、情けなかった。

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 その日の夜、宿舎で晩ご飯を食べているとき、落ち込んでいる僕にアメリカ人のベテラン医師が声をかけてくれた。

「次にキャンプに行くときは、避難民たちの生活を見てみるといい。国境なき医師団のような医療・人道援助を行う組織がどうして設立される必要があったのか、よくわかるよ」

「ダルフール紛争」で起きた大虐殺と性暴力

 アフリカのスーダン西部にある、ダルフール地方――。

 米議会や多くの活動家が「21世紀、最初の大虐殺」と呼ぶ紛争があったところだ。これまでに推定で30万人が死亡し、200万人以上の人たちが住む家を追われた。

 もともと、非アラブ系の農耕民族とアラブ系の遊牧民族との間で、水へのアクセスや牧草地を巡る争いがずっとあった。

 それが2003年、非アラブ系のグループが武装蜂起し、スーダン政府に支援されたアラブ系との間で、本格的な紛争に発展していった。

 おどろくことに、当時のダルフール地方で5歳以上の死亡原因の第1位は、病気でも栄養失調でもなく、暴力だった。

 ジャンジャウィードと呼ばれるスーダン政府の支援を受けたアラブ系の民兵組織が、多くの非アラブ系の村落を襲撃していた。そこで、容赦のない虐殺と性暴力が行われていたのだ。

 砂漠のような灼熱の広大な大地で、被害にあった村をいくつか見たことがある。

 ローラー作戦によって村中の家は地面が見えるまで燃やされ、耕作地や井戸まで破されていた。これでは生きのびた人たちが村に帰ることを望んでも、生計は立てられない。

 そんな彼らが、安全を求めてなんとかたどり着いた避難民キャンプで、国境なき医師団は無償で医療を提供していた。

 はじめて僕がついた仕事は、サプライ・ロジスティシャン。

 医薬品などの輸入も含めたすべての援助物資の調達と、在庫管理の担当だ。縁の下の力持ちともいうべき大事な役割だった。

 ある日、ひとりの初老の女性とその孫の男の子が到着した。