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『徹子の部屋』に出演し、幼少期の貧困や家族の介護を公表

――子どものころ、学校以外に心の支えになっていたものはありますか。

風間 「早く大人になりたい」という思いだけでしたね。自分でお金を稼いで、好きなものを食べて生活したいと思っていたので、早く大人になりたいとばかり考えていました。

 小学生の時に、多摩川の河川敷に来ていたホットドッグ屋さんがあって、よくそのあたりで遊んでいた俺は、たまにキャベツの千切りを手伝わせてもらっていたんです。で、その代わりにホットドッグを貰うという、ちょっとしたアルバイト体験をしたことは自分にとって大きかったですね。多分そういう、早く自立したいという気持ちが支えになっていたのかもしれません。

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――風間さんが貧困やおじいさんの介護のことを公表されたのは、いつ頃のことでしたか。

風間 確か、2010年に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した時ですね。「どういう子ども時代だったんですか」という話の流れだったと思うんですけど、徹子さんから意外と根掘り葉掘り聞かれたので、「これはちゃんと話さないといけないな」と思って。

自分がヤングケアラーだと思っていなかった

――周囲からはどういった反響がありましたか。

風間 「嘘だろ」って言われました。お金持ちのボンボンだと思われていたみたいです(笑)。2016年に『ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力』(中央公論新社)という本を出してからは「勇気をもらいました」など、色々な反響をもらいました。「自分の子どもに読ませたい」というお母さんとか、学校図書にしてほしいという声もいただいて。俺にはそんな力はないんですけど(笑)。

――近年、ヤングケアラーの問題が注目されるようになりましたが、当事者のおひとりとして、ニュースなどを見て思うところはありますか。

風間 昔はそう言う言葉もなかったし、俺も自分がヤングケアラーだと思っていなかったんです。でも今は、ヤングケアラーだという若い人たちもたくさんいて、声をあげている人もいる。なので「自分と同じような人がこんなにいっぱいいるんだな」と思いました。

 

 みんなよその家庭のことはわからないし、自分の家庭のこともわからないじゃないですか。特に子どもはそういう状況にあっても、自分からは話しづらくて誰にも話さないんじゃないかな。

 話して解決する問題でもない、というのも大きいかもしれません。友達に話しても解決しないだろうな、という諦めのようなものというか。