俺はあまり介護とは思っていなかったんですけど、おじいちゃんがやったことの後始末とか、片付けはしてました。人の家に塗りたくってしまった排泄物を、水で洗い流したりとか。おじいちゃんが家の中で排泄物を塗りたくった時は、畳の下にウジ虫がたくさん湧いたりして大変でした。
あとは夜中に出かけてしまったときは、起きて家の周りを探さないといけなかったので、睡眠時間が2、3時間のときもありましたね。
ご近所さんは気を遣って見て見ぬ振り
――おじいさんの認知症について、ご近所さんは把握されていましたか? 当時、子どもがおじいさんの面倒を見ていることに対して、誰か大人が介入してくれたら変わっていたのかなと思う部分もあるのですが……。
風間 うちの周りの家の人たちは知っていたと思います。でも、見て見ぬ振りの優しさというのもあったのかなと。例えば、うちのおじいちゃんが全裸で壁にうんちを付けながら歩いていたら、やっぱりその家の人は嫌じゃないですか。でも、それを俺には言わないんです。俺が壁を水で綺麗に洗っていたりしているのを多分見ていたと思うんですけど、見て見ぬ振りをしてくれているというか。
そこでご近所の人から「なんだよ、うんこしちゃったのかよ」とか言われると、俺も傷付いたと思うので、気を遣ってくれていたんじゃないかな。だからこそ、そんなときはホースを貸してくれたり、自転車を貸してくれたりしたんだと思います。
介護を大変だと思ったことはない
――なるほど。子どもの頃に、ご自身の家庭環境などを周りの人に相談したことはありましたか。
風間 ないですね。「相談してもどうにもならない」と思っていたし、他の家でみんながどんなものを食べてるかもわからなかったから、ごはんがないならないで仕方がないな、と。あとは助けてもらう、という発想がありませんでしたね。家のことやおじいちゃんの介護のことを、周りに「助けて」と言うほど大変だとは思っていなかったのかもしれません。
「俺がやらなきゃ誰がやるんだ」という感じだったし、毎日考えている間も無く次から次へと事件が起きるから。だから唯一、学校に行っている時がすごく楽しかったですね。友達と会って遊べる、自由な時間だったので。
――学校生活と、おじいさんの介護を両立するのは大変ではなかったですか?
風間 小学校を卒業するぐらいにおじいちゃんが亡くなったので、それまでずっと介護をしてきましたが、大変だと思ったことはないんですよね。それが当たり前だと思っていたので。学校は楽しかったので、休んだことはほとんどなかったです。しかも学校に行けば、給食で栄養が摂れるじゃないですか。だから体のためにも「学校は絶対に休んじゃいけないな」と思っていました。