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“阿部慎之助ズッコケ事件”の真相

 僕と阿部さんの関係性で言えば、「阿部さんズッコケ事件」もありました。2012年7月1日の中日戦、プロ初先発のマウンドに上がった僕は2回を無失点に抑えました。ところが、2回裏の攻撃で原辰徳監督が僕の打順で代打を告げ、阿部さんがベンチからずり落ちんばかりのリアクションを見せたのです。

 あの一件はいまだに「なんだったの?」とよく聞かれます。「若手が成長するチャンスを摘んだ原監督に阿部さんが失望した」とネガティブに受け止めた人もいたようです。

 当時の僕はルーキーで、先発とはいえ緊急登板。阿部さんからは「長いイニングは考えなくていいから」と言われて、なんとか2イニングを抑えることができました。

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 2回裏の攻撃中、僕は阿部さんに「おまえ、バッティングいいの?」と聞かれました。率直に「かなりクソですよ」と答えると、前に座っていた古城茂幸さんが「こいつ、いつも黙々とジャイアンツ球場でバッティング練習してたよ」と言ってくれました。

 それを聞いた阿部さんは、僕にこう言いました。

「じゃあライトスタンドのファンのところまで打ってこい。三振かホームランかのどっちかでいいから!」

 意気に感じた僕は、「わかりました。三振かホームランか、打ってきます!」と答えてネクストバッターズサークルに向かおうとしました。その瞬間、原監督が僕に向かって右手で制し、代打の矢野謙次さんの名前をコールしたのです。

 ホームラン宣言したばかりのヤツが、一瞬で交代を告げられる。誰も計算できないような絶妙なタイミングでした。阿部さんがズッコケたのは、一連の流れがコントのようになっていたからなのです。

 僕はというと、内心めちゃくちゃホッとしていました。自分に勝ち負けがつかず、代打で出た矢野さんがランナーを還してくれたのでチームにとってもよかったからです。でも、試合が終わった後に、深刻そうな顔つきの矢野さんから「おまえのせっかくのチャンスを潰して申し訳ない……」と謝られました。矢野さんが言うことではないような気もしましたが、「ベテランの選手はここまで気を遣えてすごいな」と実感しました。

常にボロボロだった男

 阿部さんが新監督になったというニュースを知っても、僕は「だろうな」と驚きはありませんでした。現役時代からリーダーシップを発揮して、人心掌握に長けていた阿部さんこそ、監督にうってつけだと感じていたからです。

 その一方で、2年連続Bクラスという苦しいチームを立て直す使命を負った阿部さんの大変さを想像せずにはいられませんでした。毎年優勝を求められるチームで監督を務めるプレッシャーは、とてつもないものがあるはずです。

 強打者でもあり、正捕手でもあった阿部さんは、いつもボロボロでした。どんなボールでも体で受け止め、無数のデッドボールを受け続けてきたため、体はアザだらけ。試合が終わると足、ヒザ、肩にはアイシングが巻かれていました。

「なんで、こんなケガをしてまでプレーできるんだろう?」

 何度もそう思いました。阿部さんの右脇腹は1カ所だけ毛が生えている部分があるのですが、あれは阿部さんの体がデッドボールから身を守るために進化したのだと僕は考えています。

 これからは監督として、現役時代以上の困難が襲い掛かってくるはずです。それでも、「阿部さんらしさ」を失わずに戦い続けてほしい。ひとりの後輩として、そう願わずにはいられません。

 阿部さんらしくアグレッシブに、阿部さんらしく思考をこらし、阿部さんらしく人の意見を聞き入れ、そして、阿部さんらしく怖く……。

 もし力が必要なら、いつでも声をかけていただけたらうれしいです。今は沖データコンピュータ教育学院で未来のある学生と向き合っている僕ですが、いつか3軍のブルペン担当としてでも呼んでいただけたら……。

 その時を夢見て、これからも指導者として勉強を重ねていきます。

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