3月14日は、6回目の結婚記念日だった。西武・岡本洋介との交換トレードが発表された阪神・榎田大樹は、慌ただしい一日を終え、行きつけのレストランで3歳上の妻とようやく乾杯にこぎつけた。「結婚記念日にトレードされる選手なんて、いないよ」。妻の言葉で、タテジマを脱ぐ実感がわいた。

 朝、二軍の本拠地である鳴尾浜球場に到着した直後に、トレードを通告された。「正直、びっくりしましたね」。鹿児島にいる両親への連絡を済ませると、その足で甲子園球場へ愛車を走らせた。ヤクルトとのオープン戦を控えた金本知憲監督ら首脳陣、チームメートに別れのあいさつをするためだった。

 その後、球団事務所で行われた“最後の”囲み取材。虎番たちの最前列にいながら、なかなか質問できない自分がいた。「必要とされて行くので」と気持ちを切り替える左腕とは対照的に、学校のクラスメイトが転校する時のような寂しさが段々と募ってきていた。

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岡本洋介とのトレードで西武への移籍が決まった榎田大樹 ©文藝春秋

母・きよ子さんは「まじめな子だから」

 阪神担当を拝命した2010年。新人記者として、ドラフト指名直後から密着した選手が榎田だった。本人を取材する前に、鹿児島県曽於郡大崎町にある実家を訪問した際には母・きよ子さんが、特大のおにぎり、味噌汁を振る舞ってくれ、3時間かけて、息子の生い立ちを振り返ってくれたのは良き思い出だ。

 後日、所属していた東京ガスのグラウンドで対面した本人は、きよ子さんの「まじめな子だから」という言葉そのままの実直な男だった。差し出した名刺をしっかり両手で受け取り、僕の目を見て「これから、よろしくお願いします」と頭を下げてくれた。

 どんな時も立ち止まって取材に応じ、嫌な顔一つしない。それは7年経った今も全く変わらないのだが、右も左も分からない当時24歳の新人記者がどれだけ救われたことか……。だからこそ、活躍した際の「ヒーロー原稿」にも力が入ったことは、言うまでもない。

 1年目は、中継ぎとして球団新人記録を塗り替える62試合に登板。球宴出場も果たし、プロで最高のスタートを切った。プロ初登板に、プロ初勝利……とにかく力みまくって原稿を書いた記憶がある。これから、どんな速度でサクセスロードを歩んでいくのか……。思いを巡らせていたが、阪神でのピークがこの1年間になるとは、誰も予想できなかった。