“国民的歌手”とまで謳われた安室奈美恵が引退して、早くも5年の歳月が経った。先日も沖縄県宜野湾市では彼女が公認するイベント「WE ♥ NAMIE HANABI SHOW」が盛大に行われたが、5年間限定の開催のため今年がラスト。もちろん本人不在ではあったが、唯一の公式イベントがこれで終わることを考えると、非常に感慨深いものがある。

人気絶頂のまま引退した安室奈美恵さん ©getty

 しかし、なぜこれほどまでに安室奈美恵は老若男女から愛されるようになったのか。そして、デビューして25年以上経っても人気絶頂のまま引退することができたのか。もちろん天賦の才能や人並外れた努力などが挙げられるが、彼女のキャリアを振り返ると、絶妙なタイミングで音楽的な転機を作り出し、そこに乗っかることができたからではないかと思う。

 最初の大きな転機はなんといってもプロデューサーの小室哲哉との邂逅だろう。安室奈美恵はご存じの通り、沖縄アクターズスクールの出身だ。小学5年生から通い始めたスクールではめきめきとその才能を発揮し、中学2年生でSUPER MONKEY’Sのメンバーに抜擢されて、1992年にデビューを果たした。ダンス&ヴォーカル・グループとして人気を得たSUPER MONKEY’Sの中でも彼女の存在感は抜群で、その後ソロに転向。当初のレーベルは東芝EMIだったが、人気上昇中の1995年にavex traxに移籍し、そこで小室哲哉に出会うのである。

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安室奈美恵の才能をいち早く発見した小室哲哉氏(写真:本人Instagramより)

 80年代にTM NETWORKのメンバーとして音楽シーンを席巻した小室哲哉は、1993年にミュージシャンからプロデューサーに転向することを表明し、trf、篠原涼子、H Jungle With tなどで続々とミリオンヒットを生み出していった。また、1995年は、自身のグループであるglobeも始動したというタイミング。いわば絶頂期といってもいい、研ぎ澄まされた時期に安室奈美恵との共同作業をスタートするのである。そして1995年10月に初タッグを組んだ「Body Feels EXIT」が大ヒットを記録。続けざまに、「Chase the Chance」、「Don't wanna cry」、「a walk in the park」といった初期の代表曲が生まれていくのだ。

 この2人のコラボレーションでひとつの大きな到達点といえるのが、1996年7月発表のアルバム『SWEET 19 BLUES』だろう。当初こそユーロビートを主体としたダンスミュージックを作り上げていた彼らは、徐々に米国のR&Bのエッセンスを取り入れるようになっていく。

 そして、本作ではジャネット・ジャクソンをリファレンスとした和製R&Bに挑戦。個々の楽曲のクオリティはもちろん、トータル的にも完成度が高く、19歳になった彼女のリアルなドキュメントといっていいコンセプト・アルバムに仕上がっている。ヒットナンバーが多数収められているとはいえ、かなり深く掘り下げた作品だった。