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「Movin′on without you」(あなたなしで進んでいく)

「Only you can stop me」(あなただけが私を止められる)

 決して選曲を意識したわけではないと思うが、散りばめられた英語歌詞が、二人の関係となんとなく通じていて、エモーショナルである。

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「ヒカルちゃんがつくった曲を歌えることはすごく新鮮だったし、うれしかった」

 時代を担った二人をつなぐ、名曲である。

香港ツアーでショッピング街に現れ、トレードマークのサングラスをかけた浜崎あゆみ ©getty

最後まで消費されなかった「ayu」

 番組を見終わり、改めて25年の凄さを感じた。私は正直、もっと早く浜崎あゆみは消える、もしくは引退すると思っていた。それほど、全盛期の「消費感」がすさまじかったからである。

 1999年から数年間、私から見た浜崎あゆみは、とにかく急いでいた。平均2か月スパンで新曲がリリースされる。10thシングル『A』は、リミックスを入れて14曲も入っていて、買ったお得感はすごかったが、バラバラに売った方がいいんじゃないの? こんなペースで続くの? と老婆心ながら心配したものである。

 しかも歌だけではなく、ファッション、発言、一挙一動が注目される。デビュー当時10代の少女が自分を摩耗することで光り、さらに時代が特別なピンスポットを用意し、昼夜関係なく煌々と照らしている感じ。

 しかも彼女は決して自信があるように見えなかった。逆に「君はどこにいるの」「何を見せればいい」と不安そうに問いかけてくる。そんな「ayu」というモンスターを背負いきれず「逃げたい」と思っていたという感情すらも、個性の輝きの一つになっていた。

1stアルバム『A song for xx』(1999年1月1日発売)のイベントに出演した浜崎あゆみ。98年12月26日、渋谷109前で行われた

 テレビにこれでもかと露出し続けたあの2000年代前半は、ファンに限らず誰から見ても、日本一よく働き、勇気やメッセージを送ったアーティストの一人だったと思う。

 いつすり減り、消えてもおかしくない疾走に見えた。本当によくぞ消費されず、立ち続けたと思う。そして今、25年分、その時間の分だけ「彼女に救われた」というファンがいて「私の心そのものみたい」と大切に思う曲がある。豹柄に金髪のショートヘアにネイルアートなど、浜崎あゆみが流行らせたものは数知れないが、一番強くファンの人たちに響いたのは、立ち続ける力だったのではないか。

 最後に彼女が歌ったのは「Who…」(作詞:浜崎あゆみ、作曲:菊池一仁)。ライブでもよく歌われるこの曲には、こんな歌詞がある。

 これからもずっとこの歌声が

 あなたに届きます様にと

 世紀末の歌姫は令和になっても喧噪のなか歌い続け、誰かの「出口」となっている。