「茶色いブレザーをおっさんみたいに着て、両手に腕時計をはめて管理するんです。取材の記者は時間をごまかして粘るので、進めてある時計のほうを見せて逃げないと次の仕事に間に合わない。歌番組のバンドには意地悪な連中もいて、大人のマネージャーには文句を言わないのに、俺には『こんなもんで演奏できるか』と譜面のコピーを破られたりしたこともありました。
夜は郷さんの台本読みの相手をして、夜中に衣装を洗濯する。乾燥機をかけていると室内が温かくなって、床の上で気を失ったように眠ったこともあります。そんなクタクタの毎日でもジャニーは来るんですよ」
「僕ちゃんはどこに寝ようかな~」
行為の最中、ジャニー氏はこんな言葉を囁いたという。
「ユー、もうちょっと我慢しててね。ユーのためにね、ジュニアのメンバーを今集めてるから。もうちょっとだからね」
言葉どおり、その後10人近いジュニアが加入し、板野氏が寝ていた合宿所の和室は、泊りに来たジュニアたちの雑魚寝部屋となった。
「今日は、僕ちゃんはどこに寝ようかな~」
当時40代のジャニー氏は枕を抱えて部屋に入ってくると、ジュニアたちの中からその夜のターゲットを選ぶ。しばらくすると部屋の隅で寝ている板野氏の耳に、暗闇から「痛い、痛い……」と、か細い声が響いた。
「救えないですよ。僕も逃げてるわけだから……」
公演先の地方のホテルでは、ジャニー氏のスイートルームに泊まるよう命じられた。スイートがないホテルでは、ジャニー氏がジュニアの部屋に入ってきた。ゴム製のフランケンシュタインのマスクを被ったジャニー氏がジュニアを驚かせ、ふざけ合っている間に性加害に流れることもあったという。
「タバコの煙やブランデーを口移しで飲まされることもありました。キスしながら、こっちの口に煙を吐くんですよ。ジャニー本人は普段、酒を飲まないんだけど、こういう時だけ口に含む。僕らは未成年ですからね。頭がクラクラしていましたよ」
板野氏は約50回の肛門性交があったと記憶している。ジャニー氏からの被害がなくなったのは、JJSがデビューした頃の、あるトラブルがきっかけだった。