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「僕ちゃんはどこに寝ようかな~」「淋病になったら『殺す気か』と殴られ…」ジャニー喜多川から“50回の性被害”郷ひろみの元付き人が顔出し・実名告発

「僕ちゃんはどこに寝ようかな~」「淋病になったら『殺す気か』と殴られ…」ジャニー喜多川から“50回の性被害”郷ひろみの元付き人が顔出し・実名告発

source : 週刊文春Webオリジナル

genre : ニュース, 社会, 芸能, テレビ・ラジオ

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「淋病になったら『殺す気か』と殴られ…」

「あるタレントがスクールメイツの子たちを合宿所に連れ込んだんです。僕はその一人と関係を持った。そうしたら、淋病になってしまった」

 話を聞きつけたジャニー氏は合宿所の3畳間に板野氏を連れて行った。

「ユーは僕を殺す気か!」

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 こう怒鳴って拳で顔面を殴りつけたという。

ジャニーズ・ジュニア・スペシャル(JJS)4枚目のシングル

 JJS時代の月給は5万円。ひとり暮らしを始めると8万円になったが当時の大卒初任給よりも安かった。板野氏はJJSの後にジャニーズ唯一の女性メンバーがいたVIPに参加した。

「ジャニーズが冬の時代でした。ジャニーさんは『女性メンバーを入れてキャバレーを回って儲けよう』と。でもVIPもうまくいかず、給料が出なくなった。その一方でジャニーさんやメリー、(前副社長で今年9月に退任した)白波瀬傑たちで熱海に社員旅行に行ってドンチャンするわけです。レコード会社から宣伝費が入ってきたのでしょう。それは許せませんでしたね」

1998年、田原俊彦のコンサートで。右が板野氏(本人提供)

 板野氏はその後、田原俊彦のバックダンサー「ジャPAニーズ」を経て、田原のチーフマネージャーとなった。副社長のメリー喜多川氏がマネージャーの言う事を聞かない田原を持て余し、先輩の板野氏を付けたのだ。シブがき隊のチーフマネ―ジャーになると、音楽面でも売り出し方を考え、プロデューサーのような立場となった。

ジュリーを叱ると、メリーに告げ口をされて…

「メリーからは『少年隊は踊れるし、男闘呼組はバンド演奏ができる。シブがき隊は何ができるの?』と言われて悔しくて、必死に売り方を考えました。メリーからは嫌味を言われましたよ。『板野プロの板野社長』と」

メリー喜多川氏

 その頃、少年隊の衣装担当として家業を手伝うようになったのが藤島ジュリー景子氏だった。

「ジュリーのことは何度も怒鳴りました。ある業者にコンサートの衣装を発注していたのに、なかなか仕上がらない。調べるとジュリーが少年隊の衣装を『こっちを先にやって』と横入りしていた。ジュリーに電話して、『世の中には順番てものがあるんだよ、いい加減にしろ!』と怒鳴りました。するとすぐにメリーに告げ口して、メリーが僕を怒る。あの人はジュリーのわがままを全部丸飲みでした。

藤島ジュリー景子 ©文藝春秋

 会見の手紙でジュリーは母親に何も言えなかったといってたけど、そんなのウソですよ。ジュリーはその時々に売れているタレントにくっついていた。最初は本木(雅弘)に夢中でしたが、相手にされないと、東山と付き合うようになった。メリーも東山のことは気に入ってましたから」

 メリー氏は、ジュリー氏と東山のためにマンションを用意していたという。

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