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 僕は病室で再会したカミさんに、かける言葉が見つからなかった。

 お腹に宿った命を失うのが、女性にとってどのようなことなのか、僕は初めて知ったような気がした。

「今度こそ無事に、元気な子を産みたいわ」

「体操のお兄さんに赤ちゃんが!」

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 週刊誌にこんな見出しが躍ったのは、一生忘れることのできない死産の悲しみから7年後の1971年のこと。38歳になったカミさんのお腹に、再び、念願の赤ちゃんがやってきてくれたのだ。

 2度目の妊娠が分かったとき、もちろん二人で喜んだが、最初の妊娠のときのように浮かれる気持ちはまったくなかったように思う。

「今度こそ無事に、元気な子を産みたいわ」

 そんな思いから、このときのカミさんは、用心しすぎるほど用心を重ねた。すべての仕事を休み、大事を取って何度も入退院を繰り返したのだ。

 彼女は妊娠が判明してすぐ入院し、安定期に入ったところで一度、自宅に戻り、妊娠7ヶ月に入り再び入院するという厳戒態勢。それもすべては、あの7年前の悪夢を繰り返さないためだった。

 男の子でも女の子でもいい。とにかく無事に生まれてくれさえすれば、それで十分だ。親になる身なら誰しもが味わう期待と不安の日々。僕は仕事を終えると、どこにも寄らずに、毎日ペコが入院する病院へ飛んで行った。

 カミさんが再入院し妊娠7ヶ月を一週間ほど過ぎた頃、仕事場にいた僕の元に入った、病院からの一本の電話。

「今しがた、赤ちゃんが生まれましたよ!」

「えっ? 予定日は確か3ヶ月先のはずですけど……」

 電話口でそう首をひねりながらも、僕は状況が飲み込めないまま、病院に一目散に走った。

 早産だった――。

 病院で出会ったのは、顔さえハッキリと見えない、小さな小さな女の子。小さな保育器の中に、さらに小さな僕らの娘が眠っていた。

写真はイメージ ©getty

 ところが、未熟児専用の設備が整った病院に移ったほうがいいとの医師の薦めで、僕たちの娘は、この世に生を受けたばかりだというのに、すぐさま転院することになった。