プロの捕手をその気にさせたルーキー菅野のピッチング
「片岡さんはヒットを打とうというより粘りにきてる。ここで今のコースからスライダーを曲げたら絶対に手が出ないですけどね。絶対に」。
そういうもんなの?
「もちろん阿部さんも分かってると思います。でもそうそう投げられるボールじゃないですから」。
そういうもんなの? いつのまにか店内の客もみな彼の解説を聞きながら野球中継に熱中していた。8球目は外角スライダーでファウル。さらに9球目も外スライダーをファウル。文句なしにいいボールだったが、心なしか、だんだん当たりが良くなってきたような気がする。
追い込まれているはずの片岡が形勢逆転したのか。10球目。今でもはっきり覚えているのだが、捕手の阿部慎之助からサインが出ると、菅野は確かに、ニヤッと笑った。今思えば「そう来ましたか」という笑みだった。勝負の1球。インサイドから鋭く曲がったスライダーがストライクゾーンを通過する。“予言”通り、片岡は手が出ない。見逃し三振。菅野はグラブを叩きながら叫ぶ。プロから見ても極めて難易度の高いボールを要求され(要求されること自体が阿部の菅野に対する評価の高さを物語っている)、その通りに投げ切った。しかも、この日のラストボールである136球目に。どうだ、という感情が爆発するのも無理はなかった。
同時に、ほー、というため息が店内の客から漏れる。すっかり解説者になっていた彼は一拍の間を置いて「こいつ、いいピッチャーだなぁ!」とあきれたような笑顔を浮かべた。そしてこう言った。
「なんかすげー野球がやりたくなってきました! ああ野球してぇ!」
野球を極めた男たちを唸らせる投手
菅野の熱投を見終えた彼はいつもより早めに帰っていった。その後、彼は戦力外通告を受けながらも他球団へ移籍し、1軍で決勝打も放った。再び戦力外となった後も野球をあきらめず、今でも社会人野球で元気にプレーを続けている。
この日の出来事が彼の野球人生に実際に影響を与えたかどうかはわからない。だが、ファームでも冷遇され、やる気を失いかけていたプレーヤーを勇気づけ、もう一度野球に向き合わせるだけの力が、ルーキー菅野のピッチングにあったことだけは間違いない。
菅野にはもしかしたら野球ファンの枠を飛び越え、一般層を巻き込むようなスター性はないのかもしれない。だが、その代わりに、野球を極めた男たちを唸らせ、心までも動かす最高峰の技術が、僕らのエースにはあるのだ。
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