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――こうした伝説を、フィクションの世界に落とし込むのにはどういった工夫をされていますか?

 私は、伝説をフィクションに“落とし込”むのではなく、むしろ、伝説を現実に近づける作業をしていると思っています。

 伝説の内容は、本当に短くて、あらすじに近いものです。誰がいて、何をして、何が起こった、ということしか書いていない。だから小説にするためには、行動の裏で実はこんな思惑があったのではないかとか、なぜこんなことが起きたのかという部分を、想像力で補って表現していく。伊佐々王が討伐されるまでの間の、彼なりの理屈と、人間社会の混乱を描くことで、この話を、伝説から小説に近づけていきました。

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SF作家だからこそ、呪術という「理(ことわり)」を描きたい

――なるほど。本作には、吉備地方に伝わる「温羅(うら)」にまつわる話も出てきますが、それにも上田さんなりの読み解きがありますね。怪異や呪術と、現実の関りについてはどう思われていますか?

 文化人類学ではよく知られていることですが、怪異や呪術は、人間がいることで初めて成立します。自然現象や現実に起きた物事を、人間が観測して意味付けしたときに、はじめて「怪異」となる。それに向かって、解決方法や予防方法を考えたり、行動を起こしたりすることが「呪術」です。

 いまだったら科学で説明できることが、この時代では怪異であり呪術だったわけで、だから、それほど現実の世界から離れているわけでもない。この物語の中でも、陰陽師兄弟の兄である律秀は「理」によって世界を把握しています。

――律秀が「理」で動く、ある意味で現代の我々に通じる目を持ってくれているおかげで、「あり得ないこと」ではなく物語を捉えられるように感じます。

 こういう描き方をするファンタジー作家は、あまりいないかもしれませんね。私がSF出身の作家だから、こうなるのかもしれません。

 夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズも、「理」が通っていますよね。なんでも望みがかなう魔法があるわけではなくて、理によって呪術が成立する。最初に読んだとき、「やっぱり夢枕さんはSFの人だ!」と感動したことを覚えています。

陰陽師・安倍晴明が活躍する人気シリーズ『陰陽師』(夢枕獏、文春文庫)

 2001年に公開された「陰陽師」の映画(原作・夢枕獏)では、呪いの護摩を焚くシーンで、本物の呪いの言葉ではなく、健康祈願のまじないを唱えているんです。映画を観ているお客さんに、映画の中から呪いがかかってしまうとまずいから、という理由で(笑)。 制作者側が、呪術は理で成立していることを理解していたからこそ、そういう配慮に至ったんでしょうね。言葉が持つ力の大きさを感じます。