ただ以前とは違うところもある。我が国に限っていうのであれば定年制を中心に、年齢による制約が多いことである。歳を重ねて自身の立ち位置や使命などが見えてきたところで、その貴重な「俯瞰力」を十分に活かすことなく、実社会から引退させられている面がある。
昨今、科学技術の発展はめざましく、継承すべき知識が膨大となり、またそれらの取り扱いも慎重を要するようになってきた。その分プロフェッショナルとして成熟するのに長い時間が必要となり、言ってみれば自立のプロセスは後ろ倒しになってきている。ちょっと前までは「読み書きそろばん」ができればそれで仕事ができて収入が得られた。20代前半で結婚し家庭も持てた。そのペースなら50代で引退して、あとは次世代におまかせでもよかったのかもしれない。現在は高学歴化、晩婚化が進み、子供が在学中に親が定年退職するのも普通だ。
この後ろ倒しの現状にそぐわない形で、社会のご意見番としてのシニアがそのお役目を果たす前に実社会から引退させられている。日々のニュースを見ていても、なんでこんな変なことが起こるのかと首を傾げたくなることがよくある。その多くは過去の教訓が生かされていなかったり、未熟さが原因のことが多い。
「1億2000万総活躍社会」を目指すべき
このまま年齢差別を続けてシニアの活躍の場を奪えば、逆にシニアが社会の重荷になる可能性もある。そうなると一体何が起こるのか? 生物学的な答えは明白で、シニアがいない集団の方が有利になり、人類の寿命は短縮する。短期決戦の社会は、より生存本能に支配され、統制が利かなくなり、人としての「生きがい」が少ない不安定な社会となる。最悪である。そうならないためにも、シニアの人材資源が世界一豊かである我が国が取るべき方策は一つ。真の意味で「1億2000万総活躍社会」を目指すべきである。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。