今年5月、朝日新聞出版発行の『週刊朝日』が創刊から101年をもって休刊した。同誌の表紙には女子大学生から公募したモデルが登場するのが恒例となっており、そのなかにはのちにアナウンサーや俳優など表舞台に立つ仕事に就いた人も少なくない。

 この女子大生モデル第1号が、きょう12月11日に65歳の誕生日を迎えた宮崎美子である。『週刊朝日』1980年1月25日号の表紙を飾ったとき、宮崎は21歳で、熊本大学の3年生だった。彼女は前年、新聞広告でモデルの公募を知り、就職に少しでも有利になればと思って応募したという。

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 その背景には、当時は第2次オイルショック直後の不景気のさなかで、しかもまだ男女雇用機会均等法もなく、地方大学の女子学生が民間企業に就職するにはコネでもなければ難しいという事情があった。

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決め手は「リンゴのほっぺ」

 応募者はじつに937人に上り、最終的に宮崎を含む10人が選ばれた。表紙を撮影した写真家の篠山紀信は、『週刊朝日』の前掲号で彼女について《とにかく明るくてかわいい。リンゴのほっぺもいい》と評している。

「リンゴのほっぺ」とは、12月に朝日新聞東京本社で行われた面接時、宮崎は待合室の雰囲気にいたたまれず、いったん外に出て寒空のなかを歩き回ったおかげで、頬がすっかり赤くなっていたからである。面接まで残った候補者は、宮崎以外みんな化粧をしていておしゃれも決めており、彼女には場違いに思われたらしい。しかし、逆にそれが珍しかったようで採用され、選ばれた全員の撮影が終わったあとも、1番目は宮崎でいこうとスタッフ全員一致で決まったと、のちに篠山が彼女との対談で明かしている(『週刊朝日』1981年2月13日号)。

『週刊朝日』1980年1月25日号

 このとき選ばれた学生モデルには、のちに女優となる眞野あずさもいた。しかし、宮崎には先述の動機からもあきらかなように芸能界に入るつもりはなく、大学卒業後はあくまで就職するつもりでいた。このあと、篠山の推薦でミノルタ(現・コニカミノルタ)のカメラのCMへの出演オファーを受けたのも、ロケでサイパンに行けると聞いたことに加え、やはり就職につながるかもしれないとの下心があったからだという。しかし、このCMが彼女の運命を大きく変えることになる。