特に80年代、ジャニー氏の自宅である通称「合宿所」が原宿にあった時代のジュニアが多かった。当時のジャニー氏は50代。合宿所には田原俊彦、近藤真彦、川﨑麻世のデビュー組が個室を持ち、少年隊はジュニアが泊まる雑魚寝部屋から、個室へとステップアップしていった。雑魚寝部屋にはジャニー氏に呼ばれた数多のジュニアが布団を並べ、隣の書斎からジャニー氏が入ってくるまで、誰も喋らず、息を潜めていたという。
マスメディアからは完全な黙殺
ジャニーズを辞めてからも、彼らは声を上げることができなかった。大先輩にあたるフォーリーブスの北公次が88年に『光GENJIへ』を出版し、ジャニー氏から受けた性加害を赤裸々に告白したが、マスメディアからは完全な黙殺を受けたからだ。
ジャニーズのアイドル人気は87年デビューの光GENJIが社会現象となるほど沸騰し、以降SMAP、嵐が国民的アイドルに定着し、ジャニーズ帝国の勢力は揺るぎないものとなった。と同時に、テレビ局やスポーツ紙には「J担」と呼ばれるジャニーズ担当社員が置かれ、ポジティブニュースは盛大に、スキャンダルはスルーという支配関係が作られていったのだった。
その盤石さをまざまざと見せつけられた元ジュニアたちは、被害の声を上げても揉み消されると悟った。ある人は誰にも話さず抱え込み、ある人はごく親しい友人にだけ打ち明け、ある人は酒の場でネタとして笑いに変えた。ジャニー氏の性加害は噂レベルとしては広まっていて、酒の勢いで周りが訊いてくる。それに答えると確実に“ウケ”たからだ。男性の性被害への認識はそれほど低かった。
作曲家・服部良一氏の次男も被害を告白
そのメディアの沈黙、被害者の沈黙を打ち破ったのが若いカウアン氏の告白だった。
被害者はジュニアだけではない。ジャニーズアイドルの付き人や、大作曲家の子息もいた。ジャニー氏がロサンゼルスに住んでいたときに知遇を得た著名人に、のちに国民栄誉賞を受賞する作曲家・服部良一氏がいた。その次男で俳優の服部吉次氏は7歳のときに、実家に泊まりに来たジャニー氏から口腔性交の被害を受けている。服部氏は70年を経て告白した理由を、「カウアンさんのような若い人の勇気に心打たれて、応援したいと思った」と語っている。