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「だらしねぇな」という叱咤も

 1981年から翌年にかけては、劇作家・俳優の野田秀樹が主宰していた劇団「夢の遊眠社」の3本の作品に出演する。夢の遊眠社は当時、東京大学駒場キャンパスの小劇場を拠点としており、結成当初からの団員が抜け、替わって上杉祥三や段田安則など新劇の俳優養成所の出身者を受け入れるなどして、学生劇団から脱皮しようかという時期であった。伊藤は駒場での公演を観に行ったところ、衝撃とともに同世代的な共感を抱く。その後、劇団から出演依頼があり、喜び勇んで挑戦した。

 稽古場では劇団員に混じって肉体訓練や発声練習に懸命に取り組んだ。野田秀樹の作品には高度な身体表現が求められ、キャンディーズで鍛えられていたはずの伊藤もついていくのは大変だったらしい。《準備体操からはじまるんですけど、やっぱり体がついていかないんですよね。そうすると野田君に『もうへばったのか。なんだ、だらしねぇな』なんて言われて、なんで私がこんな恥ずかしめ(原文表記ママ)を受けなきゃならないんだろうと思ったりね》と、のちに明かしている(『週刊明星』1983年6月30日号)。一方の野田は、《伊藤蘭は、おそらく僕がこれまで/演出をしてきた役者のうちでも、/一番 刺激的な役者である》と当時ノートに記していた(野田秀樹著・長谷部浩監修『定本・野田秀樹と夢の遊眠社』河出書房新社、1993年)。

©文藝春秋

 夢の遊眠社は、伊藤の出演1作目となる『少年狩り』で東京・新宿の紀伊國屋ホールに進出したものの、世間的にはまだ無名の劇団であった。それだけに伊藤は当時、「なぜそこへ?」「いままで培ってきたイメージがあるでしょ」と言われることもあったという。これについて彼女は、最近出版した著書で、《でも、大手芸能プロダクションというメジャーなところにいたからこそ、アバンギャルドな世界で自分を試したくなったのかもしれません。わたしの道は、わたしが選ぶ。まだ見ぬ世界をみんなで作っていく過程が楽し》かったと書いている(伊藤蘭『Over the Moon わたしの人生の小さな物語』扶桑社、2023年)。

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 いまでこそアイドルが、世間的にはマイナーな演劇や音楽に取り組むことは珍しくない。しかし、1980年代初めはまだ、芸能界とサブカルチャーの世界には大きな隔たりがあった。そう考えると、伊藤は新たな道を拓いたといえる。