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 キャンディーズ以前に、日本のエンタメ史において、芸能人側が要求を貫徹したケースとなると、ひょっとすると、戦前に松竹少女歌劇部で起きたストライキぐらいしかないのではないか。これは1933年に、東京の松竹少女歌劇部(のちの松竹歌劇団)と大阪の松竹楽劇部(のちの大阪松竹歌劇団=現・OSK日本歌劇団)のレビューガールがそれぞれ待遇改善を求めて決行したもので、いずれも経営側が譲歩し、彼女たちの実質的な勝利に終わった。

 大阪の松竹楽劇部の争議は、現在放送中のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』でもとりあげられていた。同作でヒロイン・福来スズ子(松竹楽劇部出身の歌手・笠置シヅ子がモデル)を演じる趣里は、周知のとおり、伊藤蘭と俳優・水谷豊の一人娘である。その娘の主演する朝ドラ放送中に同じくNHKの紅白歌合戦へ母親の伊藤が出場するとあって、話題性は十分だ。

 他方で、今年は芸能界で、旧ジャニーズ事務所や宝塚歌劇団などの問題をめぐり、これまで沈黙を強いられてきた人たちがあいついで声を上げた1年でもあった。こうした流れを見るにつけ、先述のような経験を持つ伊藤蘭が今年の紅白に出場することは象徴的であり、意義深く思われる。

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キャンディーズ『春一番』

「3人だから乗り越えられた」

 今年は伊藤がキャンディーズの一員としてレコードデビューしてから50年の節目でもあった。伊藤もほかの2人も、もともとは渡辺プロ運営の東京音楽学院が主宰するスクールメイツのメンバーで、1972年にNHKの新番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールのオーディションにそろって合格し、ここからキャンディーズが結成される。

 キャンディーズとして活動を続けるうち、音楽面はミキ、ムードメーカーはスー、インタビューを担当するのはランと、何となくではあるが役割分担もできていった。《寝る間もないほど忙しくなった時も、3人だから乗り越えられたと思います》と、伊藤はのちに語っている(『週刊現代』2016年12月10日号)。解散後も一緒に食事をしたり旅行をしたりと、誰よりも気持ちをわかり合える親友として関係は続くことになる。

 伊藤はキャンディーズの解散から1年半ほど休業し、1980年、単発ドラマ『春のささやき』に出演して芸能活動を再開、同年には映画『ヒポクラテスたち』で研修医のひとりを演じている。同作は、大手映画会社ではなく小資本のATGの製作により、元医大生で当時新進気鋭の映像作家だった大森一樹が監督した。